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木琴の時間だよ12「名前がわからない奏者たち・その2」 [レラ通信]

また久しぶりの更新です。2023年11〜12月は更新できなかった木琴ブログ&ポッドキャストでしたが、今年はいよいよ、アメリカの木琴レコードのことを追いかけたいと思い、所蔵レコードの整理をしていたら新たに名前がわからない木琴奏者のレコードが出てきたのでそちらをまとめました。

今回のエピソードはこちらからお聴きください→
レラ通信・木琴の時間だよ12「名前がわからない奏者たち・その2」

1、2曲目だけ、「Frank Foster」という名前が書かれていました。
レーベルはParlophone、イギリスのレーベルです。
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曲のタイトルは「The Juggler」「On The Hudson」です。

Parlophoneは78rpm clubのサイトによると、最初はドイツのレーベルだったようです。

3曲目は、同じくイギリスの「Phoenix」レーベルで曲名は「Normandie Polka」です。Xylophone solo with Cornet and Bandとしか書かれていないので木琴奏者の名前は分かりません。
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4曲目は、犬が蓄音器に耳を傾けているイラストで有名な「HMV=His Master's Voice」レーベルのレコードです。
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タイトルは「The Nightingale's Morning Greeting」で、比較的新しいレコードのせいか、音がとても良くて演奏も素晴らしく、小鳥が鳴いているような感じが伝わります。素敵な1曲でした。バンド名だけ記載されていてやはり、木琴奏者の名前は分かりません。


5、6曲目は「RENEYPHONE」という最初フランスのレーベルかと思っていましたが、なんとベルギーのレーベル。
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1935年創業とのことなので比較的新しいレーベルです。マスターレコードはドイツのポリドール社の録音を使ったものが多いそうです。
曲のタイトルは「Au bord de la riviere 川に沿って」「Vien cherie! allons boire un petit verre foxtrot さあ、ダーリン!少し飲みましょう」でした。

後半はドイツのレーベルを3枚。

7、8曲目は「homocord」というレーベル。
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曲のタイトルは「Irrlichter polka イーリヒター ポルカ」「Herzklopfen polka ハーツクロッフン ポルカ」です。

9、10曲目は、ドイツで一番古いレコードレーベル「Kalliope」
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曲のタイトルは「Grillenbanner_marsch グレンバナー行進曲」「NewYork_marsch ニューヨーク行進曲」。ドイツ語を訳そうとしたのですが、日本語が不思議な訳になるので、読み方をカタカナにしています。

最後の2曲は、「BEKA」というレーベルのレコード。
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曲名は「Boulanger marsch ブーランジェ行進曲」「Kunstreiter gallopp クンスタイターギャロップ」で、どちらも以前のポッドキャストで収録したことがある曲ですが、アレンジや木琴の音や弾き方が違って聞こえます。誰が弾いていたのか、とても気になりドイツの奏者の層が厚いことや音楽性の豊かさを聞くことができました。
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Rudy Starita [xylophonist]

ポッドキャストでピックアップしたRudy Starita。
兄弟(兄か弟かは?)のRay Staritaと共に、YouTubeでもたくさん音源が公開されています。そのうちの一つBritish Patheの映像→
Rudy Starita (1936)

今回のブログは、レコードの写真中心に編集します。
ep027_木琴の時間だよ10「Rudy Starita」

1曲目;BABY'S BIRTHDAY PARTY
Baby'sBDParty(大).jpeg

XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing vibraphone)、と書かれています。
ピアノとアコーディオンの伴奏で、奏者は不明。

2曲目;RIO DE JANEIRO
RiedeJanairo(大).jpeg

XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Bells) with Orchestra と書かれています。


3曲目;JOEY THE CLOWN
JoeyTheClown(大).jpeg

2曲目の裏面。

4曲目;OVER THE STICKS
OvertheSticks(大).jpeg

アメリカの木琴研究家David Harveyさんがこの曲をトランスクリプトした楽譜があります。一部ご紹介→
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ここだけ見てもすごい。ちゃんと練習したら上手になりそう、、[あせあせ(飛び散る汗)]

5曲目6曲目;THE DANCE OF THE OCTOPUS
TheDanceoftheOctopus(大).jpeg

同じ時代に生きていたスタリータとノーヴォ。ちなみにノーヴォの方でクラリネットを吹いているのはベニー・グッドマンだそうです。

7曲目;SINGIN' IN THE RAIN
1954年の映画「雨に唄えば」で有名なこの曲は1929年にアメリカで上演されたレビューのテーマ曲でした。


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続いてRudy Staritaのエピソード後半。
後半はコメントを入れず音楽だけで編集しました。
ep029_Xylophone Time11_Rudy Starita music only

1曲目;DANSE OF THE PAPER DOLLS
DofthePaperDolls(大).jpeg

XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone) with Piano and Accordion と書かれています。

2曲目;WICKED MR. PUNCH
WickedMrPunch(大).jpeg

フランスのレーベルDECCA。ボーカルは、Arthur Lally。イギリスに昔からある番組で「Punch and Judy show」というものがあり、この歌はそれに関係するものなのかな?

3曲目;DANCE OF THE RAINDROPS
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XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone) with Piano and Saxophone と書かれています。
奏者名は不明。

4曲目;PAGAN LAVE SONG
PaganLoveSong(大).jpeg

MARIMBA SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone)
ギター/ LEN FILLIS、ピアノ/ SID BRIGHT

マリンバの穏やかな音色とメロディ。4本バチで演奏されています。

5曲目;HARD TO GET
HardtoGet(大).jpeg

こちら、演奏者名は「THE FOUR BRIGHT SPARKS」、ルディのバンドです。兄弟のRay Staritaはサックスやクラリネットなどリード楽器奏者ですが、ルディのバンドではサックスはVAN PHILLIPS、と書かれているので兄弟で一緒に演奏しているものではない様です。
ボーカルは、BILLY HILTON。

6曲目;RAGAMUFFIN
Ragamuffin(大).jpeg

XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone)
LEN PHILLIS/ Guitar, VAN PHILLIPS/ Saxophone, SID BRIGHT/ Piano

7曲目;LA DANSE DES COUCOU
Coucou(大).jpeg

COUCOUは、カッコウのこと。冒頭のリード楽器による音がユーモアたっぷりです。
ボーカルは、ARTHUR LALLY。

8曲目;LONESOME LITTLE DOLL
LonesomeLittleDoll(大).jpeg

6曲目の裏面。
XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone)
LEN PHILLIS/ Guitar, VAN PHILLIPS/ Saxophone, SID BRIGHT/ Piano

9曲目;DRINK, BROTHER DRINK
Drink, Bro(大).jpeg

VIBRAPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Xylophone) with Piano and Accordion

タイトルが「よう、兄弟、飲めよ!」みたいな感じだったのですが、曲が全く違う穏やかな雰囲気であれ?と思いました。

10曲目;THE KERB STEP, FOXTROT
TheKerbStep(大).jpeg

こちらもTHE FOUR BRIGHT SPARKSの演奏。ボーカルは、BOBBY HOWES。
何かお芝居のようなセリフから始まる曲でした。

11曲目;THE SQUIRREL DANSE
TheSquirrelDance(大).jpeg

XYLOPHONE SOLO by RUDY STARITA
(Introducing Vibraphone) with Piano, Accordion and Saxophone



ほぼ全てのレーベルに「Introducing ??」と楽器の名前が書かれています。以前、ヨーロッパの奏者不明のレコードをかけた時、書かれている楽器と演奏されている楽器が違うことがしばしばでした。今回ルディのレコードは全て書かれている楽器の音と演奏されている音が一致していたので、何かスッキリしました。紳士的だと思います。

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木琴の時間だよ「名前が判らない奏者たちのレコード・ドイツ」の補足情報

IMG_5103.jpeg レラ通信のポッドキャストエピソード22「名前が判らない奏者たちのレコード・ドイツ」のレコードに関する補足説明をメモしています。 IMG_5104.jpeg IMG_5105.jpeg 【Regal-Zonophone Records】 Regal-Zonophone Records は、1932 年に Regal Records と Zonophone Records レーベルが合併して設立されたイギリスのレコード レーベルです。 創立 1932 年、リーガルとゾノフォンは、親会社であるコロンビア グラフォフォン カンパニーとグラモフォン カンパニーに続き、両社は合併して EMI を設立しました。独立していた頃と同様、リリースされた楽曲の大部分は米国のレーベル、コロンビア・レコード、オーク・レコード、ビクター・レコード、そしてアメリカン・レコード・コーポレーションからのものでした。リーガル・ゾノフォンは、クリフ・カーライル、ジッド・タナー&ヒズ・スキレット・リッカーズ、ロイ・ハーヴェイなど、アメリカの往年のミュージシャンによるレコードをリリースしました。しかし、ジャズやポップスもこのレーベルからリリースされました。グレイシー・フィールズやジョージ・フォームビーといった地元アーティストもリリースされました。 1950年代 1950 年代、リーガル ゾノフォンのオーストラリア部門は、オーストラリアにおけるカントリー ミュージックの発展において重要な役割を果たしました。スリム・ダスティ、スモーキー・ドーソン、レグ・リンゼイ、チャド・モーガンとともにヒットシングルが繰り返しリリースされました。 1957 年のスリム・ダスティの「A Pub with No Beer」は、オーストラリアの歴史の中で最も成功したシングルとなりました。 さらに詳しい歴史と現在 1960 年代と 1970 年代には、リーガル・ゾノフォンのアーティストが定期的にチャートに登場しました。これらのミュージシャンには、ザ・ムーブ、ジョー・コッカー、T・レックス、プロコル・ハルムなどが含まれます。しかし、その後の10年間で、リーガル・ゾノフォンは多くのミュージシャンを失い、EMIはレーベルを撤退しました。1990年代にEMIがRegal-Zonophoneを再発売レーベルとして復活させましたが、現在ではこの形態のレーベルは存在しておりません。グループは再び Regal と Zonophone Records に分割され、それぞれ独立して運営されています。 ↑ 上記の出典は、https://de.m.wikipedia.org/wiki/Regal-Zonophone_Records です。 イギリスのレーベル、と書かれていますが写真のレコードには、「DEUTSCH」と書かれていました。 IMG_5107.jpeg 【Anker–Record】 Anker-Record は、20 世紀初頭に使用されたレコード (シェラック材質のレコード) の商標でした。 レコードに貼られたステッカーには、ロゴとして様式化されたアンカーのほか、楽曲、アーティスト名、タイトルの連続シリアル番号などの情報が一時的に含まれていました。 アンカーの商標は、チューリンゲン州ルドルシュタットにある F. Adolf Richter & Co. という会社によって最初に使用されました。音声録音は、ベルリンに拠点を置く National Phonogram GmbH によって 1906 年まで行われました。 また、ベルリンでもマスターがカットされ、1907 年 12 月以降、アンカー サウンド レコーディング スタジオで録音されたと思われる音楽作品が、サウンド レコーディングの販売も担当する Anker Phonogramm Gesellschaft によって制作されました。 その後、ドイツ帝国特許 (D.R.P.) で保護された「アンカー レコード レコード」および「アンカー共鳴スピーキング デバイス」は、元競合他社のカリオペ社の製品とともに、ベルリンのメンゼンハウアー & シュミット社 (所有者ヘンリー) を通じて独占的に製造および販売されました。 ↑上記の出典は、https://de.m.wikipedia.org/wiki/Anker-Record タウバー兄弟(Geschwister Tauber)についての記録は見つけることができませんでした。 IMG_5108.jpeg レーベルはわかりませんでしたが、ビューヒナー管弦楽団(Büchner Orchester)については、指揮者であったMax Büchnerに関する記述が、https://grammophon-platten.de/page.php?422 に書かれていたので、一部抜粋します。 マックス・ビューヒナー 1862年〜1906年 マレク・ウェーバー、ダホス・ベラ、ポール・ゴドウィンのようなオーケストラのリーダーがレコードを通じて有名人になるずっと前に、楽長マックス・ビューヒナーは帝政時代に最も頻繁に録音されたオーケストラの一人でした。 ビューヒナーはおそらく 1862 年にベルリンで生まれました。彼の父親は 1880 年代に市内でワードローブと衣装のレンタル店を経営していました。 息子マックス・ビューヒナーは、1887年に初めてベルリンの住所録に記録されました。職業は音楽教師でした。マックス・ビューヒナーの指揮の下で行われた録音は数百に達するはずで、おそらくそれ以上になるでしょう。死亡記事は、マックス・ビューヒナーがさまざまな会社の録音室で多くの時間を過ごしたことを示唆しています。 録音されたレパートリーは、要求された音楽のほぼ全範囲をカバーしていました。ライトクラシック音楽から行進曲や民謡、おふざけやケーキウォークまで、ビューヒナー管弦楽団が録音しない音楽ジャンルはほとんどありませんでした。多忙な音楽家でありベルリンのレコードスタジオの準王でもある彼は、高い確率で良好な生活を確保した。しかし、おそらく彼は、音声機械業界からのあらゆる注文で自分自身を「やりすぎ」たとも言えます。マックス・ビューヒナーは1906年に風邪のためわずか44歳で亡くなりました。 そして上記「死亡記事」は雑誌「Phonographische Zeitschrift , No. 19」に書かれていたものと思われます。それがこちら↓ 楽長マックス・ビューヒナーが5月1日に死去。彼の有効性の兆候はあらゆるビジネスで顕著ですが、私たちの業界にとって非常に重要な人物であるこの人物について詳しく知っている読者はほんのわずかです。 マックス・ビューヒナーはスペシャリスト、すなわち蓄音機のバンドマスターであり、とりわけエジソン交響楽団のリーダーであった。エジソン交響楽団は他のサークルではベルリン交響楽団としても知られ、あるいはレコードメーカーによっては自社のブランド名でハウスバンドとしても知られていました。 ビューヒナーは、見た目は元気そのものに見えましたが、気の強い音楽家でした。蓄音機録音の分野における技術の進歩に加え、蓄音機に録音された楽曲を完璧に仕上げたことで、業界は少なからず彼に感謝しています。彼は、レコードやリール用の最もつまらない音楽を素晴らしいコンサート作品に変える方法を見事に知っており、蓄音機でクラシックの作曲家を解釈する方法は、想像できる限り最も完璧でした。 蓄音機で最高の作曲家の作曲であっても、入手可能な楽譜に基づいて耳に心地よいものを作ることがいかに難しいかは、入門者だけが知っています。ここで、故バンドマスターの高度に芸術的に発達した編曲の才能が最大限に発揮されました。完璧でした。彼のオーケストラ音楽の編曲は、新鮮さと独創性、そして与えられた目的の理解を示しており、誰にも匹敵するものはありませんでした。 私たちの最も有名な音楽評論家は、蓄音機とオーケストラの優れた演奏を達成するには、元のアレンジメントを変更する必要があるため、一般的に蓄音機に敵意を持っています。これらの紳士たちは、ここでは非常に一方的な視点を持っています。究極的には、作曲家のメロディーを心地よい形で聴かせること以上に作曲家に奉仕することはできないからです。ビューヒナーは、その素晴らしい技術のすべてを使ってこの課題に専念し、見事にそれを解決しました。彼は目的を達成するために芸術的感情を決して侵害しなかったし、音楽を愛する何百万人もの人々は今後長い間彼の作品に啓発を求め、見出すことになるでしょう。いわば、彼の人生は蓄音機に捧げられたものでした。彼は 8 年間、蓄音機のプレゼンテーションを完成させるために努力しました。同時に、精神的および肉体的な仕事における彼の功績に対する彼の主張は、想像できる限り最も控えめなものでした。それは彼の性質とまったく一致しており、それは常に並外れた謙虚さと控えめさを証明していました。彼は自分の価値をほとんど認識していなかったかと思われがちだが、おそらくそうではなく、彼の仕事に無関心な社会など存在しなかったのだろう。そして、彼は休むことのない勤勉さで業界のすべての人に奉仕しようと努めました。 彼は自分に休むことを決して許さなかったので、仕事の途中で重度の風邪のため、潜伏性の病気に見舞われ、彼は突然全盛期(44歳)に突入し、おそらくギャップを生み出しました。すぐに記入されることはありません。 彼の生前の記録に敬意を表しましょう! IMG_5110.jpegIMG_5111.jpeg IMG_5114.jpeg 【Homophon/Homokord/Homocord Rabel】 Homophon (後の Homokord または Homocord) は、1904 年から 1932 年まで存在したドイツのレコード レーベルです。 レコードレーベル Homocord は 1904 年にヘルマン アイズナーによって Homophon という名前でベルリンに設立され、1908 年までこの名前で活動を続けました。アイズナーは 1918 年 9 月 30 日までホモフォン社の常務取締役を務めました。 最後に、ホモフォン社は 1907 年にベルリン王立地方裁判所でゾノフォン社が起こした特許紛争で敗訴し、1911 年 8 月に社名をホモコードに変更しました。ただし、変更されたのはレーベル名のみです。会社は引き続きホモフォンと呼ばれました。英国市場では、名前は Homochord でした。 1924年頃にドイツでも名前がホモコードに変更されました。 1920 年代、同社の本社はベルリンのアレクサンドリン通りにありました。 1926 年 3 月から、Homocord は電気的方法を使用して録音し、さらに Electro という名前が付けられました。 1925 年、ブリティッシュ コロンビア州は英語のホモコード (実際にはホモコード) の一部を引き継ぎました。この買収により、ドイツの企業 Homocord はイングリッシュ コロンビアから特許を取得できるようになりました。 1932 年に会社はカール リンドストローム AG に引き継がれ、ブランドは廃止されました。 ↑上記は、https://de.m.wikipedia.org/wiki/Homophon_(Label) から抜粋しました。 IMG_5112.jpegIMG_5113.jpeg 【Klang Wünder】 このレーベルは「インターナショナル・レコード・インダストリー」(ライプツィヒ/ドイツ)の一部分のものとして存在しました。大体1926〜1927年頃の出版です。 あまり多くの情報が見つかりませんでした。 IMG_5115.jpegIMG_5116.jpeg 【Odeon Records】 オデオンレコードについては、→ https://en.m.wikipedia.org/wiki/Odeon_Records に大変詳しく書かれていて、現代までつながる歴史があります。少し長いですが、ざっくりGoogleに訳してもらいました。↓ オデオン レコードは、ドイツのベルリンにあるインターナショナル トーキング マシン カンパニーのマックス ストラウスとハインリヒ ツンツによって 1903 年に設立されたレコード レーベルです。レーベル名とロゴはパリのヨーロッパ劇場に由来しています。 歴史 ストラウスとツンツは、カール リンドストロームが 1897 年に設立した会社を買収しました。彼らはリンドストロームの企業を公開会社、カール リンドストローム A.G. に変え、1903 年にオデオン ヴェルケ インターナショナル トーキング マシン カンパニーを含むフォノティピア レコードを買収しました。 International Talking Machine Company は 1903 年にドイツで初めて Odeon ラベルを発行し、同年に米国で商標を申請しました。他の会社は片面ディスクを作成していましたが、Odeon は両面ディスクを作成しました。 1909年、ヘルマン・フィンク指揮ロンドン・パレス管弦楽団とともにチャイコフスキーのくるみ割り人形組曲の4枚組をリリースし、大規模なオーケストラ作品の最初の録音、そしておそらく最初のレコード・アルバムとなったものを作成しました。 1910 年から 1911 年にかけて、オデオンはカール リンドストロムによって買収されました。 1904年1月30日、オデオンはカール・リンドストローム社の傘下となり、同社はベカ・レコード、パーロフォン、フォノティピア、リロフォン、ホモフォンなどのレーベルも所有していた。リンドストロームは 1926 年にイングリッシュ コロンビア グラフフォン カンパニーに買収されました。1931 年にコロンビアはエレクトロラ、HMV およびその他のレーベルと合併して EMI を設立しました。 ベルリン オデオン工場は、レコードを録音、処理し、多くの国に輸出しました。これらの国のいくつかについては、広範な国家カタログがありました: ギリシャ、スカンジナビア、インド、アラビア全土、オランダ、エストニア、ポルトガル、中南米、ルーマニア、トルコ、ハンガリー、中国、オランダ領東インド、シャム、バルカン諸国など1920 年代と 1930 年代には、ドイツのオデオン生産量の約 70% が輸出されました。オデオンの録音の一部は、米国での流通のためにアメリカのOkeh・レコードにリースされました。 オデオンのディスクは、1905 年または 1906 年にアメリカン レコード会社によって輸出専用としてアメリカで最初に製造され、ブルー シェラック製の横カットの 10 3/4 インチ 78 ディスクが製造されました。この事業は、ARC が特許侵害でコロンビアから訴訟を起こされた 1907 年に中止されました。リンドストロムは再びアメリカ支社の開設を試みましたが、今回はリンドストロムの会社で働き、第一次世界大戦勃発時にアメリカに住んでいたオットー・ハイネマンを通じてでした。ニューヨークに留まったハイネマンは、1915 年にオットー ハイネマン蓄音機供給会社を設立し、その 4 年後に自身のレーベル、Okehレコードを設立しました。 1919 年、OKeh は米国で Odeon レーベルから外国録音作品の発行を開始しました。 1920 年代、オデオンはドイツ、イタリア、フランス、スペインなどの国でアメリカのジャズのレコードを発行しました。 1930 年代から 1940 年代にかけて、オデオンはスイング ミュージック シリーズを販売しました オデオンは、1900 年から 1940 年にかけて 2,700 タイトルを超えるインド音楽を録音し、発行しました。 オデオンのシェラック ディスクの発行は 2 段階に分かれていました: (1) 1912 ~ 1916 年と (2) 1932 ~ 1938 年。最初の段階で、彼らのエンジニアはインドの多様な地域音楽を録音するために多くの都市を訪れ、ベルリンでの制作後にレコードをインドに送り返しました。同社は第 2 フェーズではムンバイとマドラスに拠点を置きました。しかし、第二次世界大戦の勃発とその後の通商禁止により、同社はインドでの事業を終了しなければならなくなりました。 同社の作品には「ドラマソング、スピーチ、民俗音楽、クラシック音楽、ドラマセット、コントや演劇、声楽や器楽」が含まれていた。約 600 冊のタイトルが個人コレクションに残っていると推定されています。大英博物館はこれらの記録の一部をデジタル化し、オンライン アーカイブで無料で公開しています。 第二次世界大戦後、Odeon レーベルは、西ドイツ、フランス、スペイン、スカンジナビア、日本、ラテンアメリカなど、英語圏以外の多くの市場で EMI の子会社として活動を続けました。ドームのロゴはほとんどの場所でまだ使用されていましたが、独自のラベルデザインもありました。 2012年9月にほとんどのEMI資産がかつてのライバルであるユニバーサル・ミュージック・グループ(UMG)に売却されたことにより、ユニバーサルはオデオンの戦後の日本、ラテンアメリカ、ドイツ、一部のヨーロッパのカタログを再発行する権利を保持しましたが、別の元競合ワーナー・ミュージック・グループは(WMG) は、欧州委員会の売却条件に従って、2013 年 2 月に EMI の残りの権利と、それに伴いオデオンのフランス語、スカンジナビア、スペイン語、その他ほとんどのヨーロッパのリリースからの再発行の権利を取得しました。ユニバーサル ミュージック エンタープライズは UMG の Odeon カタログを Parlophone とともに管理し、WEA International は WMG のカタログを扱います。 2018年10月、ユニバーサル ミュージック ドイツはオデオンを復活させ、ブラスポップバンド、クアービートのサードアルバム『ランデール&ハーラ』をリリースしました。 そして、Dajos Béla については、https://en.wikipedia.org/wiki/Dajos_Béla から抜粋。 【Dajos Béla】 レオン・ゴルツマン、またはより一般的に知られているように、ダホス・ベーラ(Dajos Béla、1897年12月19日 - 1978年12月5日)は、ロシアのジャズヴァイオリニストおよびバンドリーダーであった。 ゴルツマンは、現在はウクライナの一部であるキエフで、ロシア人の父親とハンガリー人の母親の間に生まれた。第一次世界大戦中は兵士として従軍し、その後モスクワで音楽を学んだ。その後ベルリンで勉強を続け、地元の会場で演奏を始めた。彼はカール・リンドストロームAGからレコーディングの依頼を受け、自身のサロン・オーケストラを立ち上げ、この時期に名前を、よりハンガリーっぽい響きのダホス・ベーラ(当時ドイツで人気があったハンガリーまたはルーマニアの音楽)に変更した。彼のオーケストラは、ポール・ゴドウィンやマレク・ウェーバーのオーケストラと並んでドイツで最も人気のあるオーケストラの一つとなり、海外でも高い評価を得た。彼はさまざまな音楽を演奏したが、ジャズ音楽の場合は、オデオン ファイブ、マックズ ジャズ オーケストラ、クライブ ウィリアムズ ジャズバンドなど、さまざまな名前で録音されることがよくあった。 1933年にナチスがドイツで政権を握るとすぐに、ユダヤ人だったベーラは海外ツアーを始めた。 1935年に彼はブエノスアイレスに旅行し、そこで残りの人生を過ごしました。彼は1978年にアルゼンチンのラ・ファルダで死去した。 IMG_5103.jpeg 以上です。 木琴奏者の名前はありませんでしたが、ドイツのレコードや演奏家の層の厚さを知るエピソード回になりました。 (お腹いっぱいです笑)
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Walter Sommerfeld〜ヴァルター・ゾンマフェルド [xylophonist]

IMG_4861.jpegAuf zum Tanz - Mazurka

ドイツの木琴奏者、Walter Sommerfeld(ヴァルター・ゾンマフェルド)は、1895年生まれ1945年逝去です。インターネットでは殆ど情報を見つけることが出来ませんでした。ポッドキャストに収録した演奏を聴いて人物を想像して頂ければ幸いです。

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これは前回のクリューガーの教則本の中に書かれている木琴に関する項目です。




下から三分の一あたりに「ヴァルター・ゾンマーフェルトによる美しいソロが数多くあり」と書かれている部分があります。有名な木琴奏者で作曲家だったようです。


私が所蔵する5枚のレコードのうち、1枚は、ボール紙のような厚い紙にソノシートのような物が貼られているレコードでした。

IMG_4857.jpegDerby Galopp


2枚同じ曲「Derby Galopp」ですが、左はドイツ・グロリア社製の一般的なSPレコード、右側がオーストリア・ノヴァフォン社の紙のレコードです。

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端っこが少し破れているので拡大してみました。
紙の層が見えるでしょうか?

ゾンマフェルドのレコードに、Kurt Engelのレコードに沢山出てきたWalter Pörschmann(ヴァルター・ペルシュマン)の名前を発見!ドイツの中で木琴とアコーディオンが仲良しだったように思えて嬉しい時間でした。↓
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Franz Krüger ~フランツ・クリューゲル~ と当時の木琴考察 [xylophonist]

(2023/07/16 クリューガーが4連木琴を演奏していたと思われる部分を追記)

今回は、前回投稿したクルト・エンゲルの先生でもあったフランツ・クリューゲル。(英語読みすると、クリューゲルというよりはクリューガーなのですが、日本語表記のレコードを参照してクリューゲルと呼ぶことにします)ドイツの打楽器奏者で、1880年12月9日、ドイツのロースラウで生まれ、1940年6月22日にドイツのベルリンで死去しました。
音源資料をまとめているうちに当時ドイツで演奏されていた木琴が気になり、手元の資料を見ながら考察します。

私の所蔵レコードがこちら↓
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人物がわかる写真等は見つけることができませんでした。

打楽器奏者にとっては、木琴よりも、もしかしたらスネアドラムとティンパニの教則本の著者であることの方が有名かもしれません↓





この教則本を説明する文章は、次のとおりです→

フランツ・クルーガーは、1880年12月9日にドイツのロスラウ(現在のデッサウ)で生まれました。彼はベルリン国立歌劇場の最初のソロ・ティンパニストであり、国立音楽大学(現在の国立音楽大学)の教授でもありました。 1942年、彼の元教え子クルト・ウルリッヒは、オーケストラの研究集とティンパニとスネアドラムの実践的な練習を含む、学習教材の編集を作成しました。これは先生に敬意を表するための方法でした。以来、これらの練習は数世代の新進気鋭のティンパニ奏者や打楽器奏者と共に行われてきました。オーケストラのティンパニと打楽器に対する技術的要求は着実に高まっていますが、フランツ・クルーガーの練習曲は、音楽性と典型的なオーケストラの要求事項の組み合わせにおいて依然として非常に価値があります。フランツ・クルーガーによる練習は、音楽性と典型的なオーケストラの要求の組み合わせにおいて、今日に至るまで非常に評価できるものです。彼の有名なティンパニ練習曲第 45 番は、今日に至るまでの彼の練習の重要性を示す一例で、今でも試験やオーディションの基準の1つと考えられています。

***** ***** ***** *****

第45番は、旧東ドイツの古い民謡だそうです。ティンパニを歌のように奏でる必要性を伝えていたのではないでしょうか。弟子に対する愛情を感じます。

ちなみにドイツ版Wikiによれば、
彼の最も有名な生徒には次のような人がいます。

*ゲラシモス・アヴゲリーノス(Gerassimos Avgerinos)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席ティンパニスト
*ヴァルター・ベンダー(Walter Bender)、ベルリン・オペラ打楽器奏者
クルト・エンゲル(Kurt Engel)、ソロドラマー RSO ベルリン
*フリーデマン・ハブナー(Friedemann Habner)、ベルリン歌劇場首席ティンパニスト
*ハンス・ハンセン(Hans Hansen)、打楽器奏者/ティンパニスト、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
*フリッツ・ロイター(Fritz Reuter)、ドラマー RSO ベルリン
*クルト・シーメンツ(Kurt Schiementz)、ソロ・ティンパニスト RSO ベルリン
*ルディ・シュライバー(Rudi Schreiber)、ベルリン・コーミッシェ・オペラ打楽器奏者
*クルト・ウルリッヒ(Kurt Ulrich)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団打楽器奏者
*クルト・ゼルベ(Kurt Zerbe)、ベルリン・オペラ打楽器奏者

(私個人的には、エンゲルの所に鍵盤打楽器のことが記載されていない事が不満です・笑)

***** ***** ***** *****

YouTubeにたくさんクリューゲルの演奏がありました↓

* Xylophone-Solo Franz Krüger 1923
* Franz Krüger(Xylophon) - Glockenklänge(1924)
* Kammermusiker Franz Krüger - Das träumende Schneeglöckchen
* Franz Krüger(Xylophon) - Elsa
* AMERICAN PATROL (アメリカンパトロール) - FRANZ KRÜGER 〜
* “Der Specht” Franz Kruger, Xylophon-Solo - Homocord 4-3110 - 78rpm -
* Kornblumenlied - Franz Krüger Xylophon - 1929
* “Maiglockchen” Franz Kruger, Xylophon-Solo - Odeon 4 3110 - 78rpm -
* Der Carneval von Venedig - Franz Krüger Xylophon - Virtouse
* Kammermusiker Franz Krüger - Kosestündchen
* Franz Krüger, Glockenspiel - Horch auf die alte Kirchenglocke - Charakterstück - ca. 1923
* Franz KrügerXylophon - Die Mühle Im Schwarzwald(1924)
* Franz Krüger Glockenspiel Virtuos Faun & Elfen Homocord B.41
* Franz Krüger, Glockenspiel - Glockenblümchen läutet - Gavotte - ca. 1923
* Frantz Krueger - BRAVOUR GALOP 日本コロムビア
* Mélodies Hongroises (Franz Krüger) — [Franz Krüger] (1924) [Reneyphone F48758]

***** ***** ***** *****

ここで、ふと気になったのが、クリューゲルが当時演奏していた木琴の形。
ドイツでは今でも民族楽器としての演奏にFour-Rowといって4連になっている縦型に演奏する木琴が使われていると思います。下の図の左側がそれです↓
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この図は1933年に同じくドイツの木琴奏者、オットー・ゼーレ(Otto Seele)が出版した教則本の中にあり、図のほかにも縦型木琴の音の配列が記載されています↓
IMG_4681.jpeg
2連の縦型木琴もありました↓
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でもこれはよく見ると、現在の木琴と同じ音の配列です。わざわざ縦に記載しているのは、4連と比較しやすいからなのでは、と思いました。

前半に基礎的な楽典が数ページにわたり、丁寧に説明されています。木琴は他の楽器よりも最初に演奏するにはわかりやすくてすぐ弾ける様になる楽器、と紹介もされています。
IMG_4676.jpeg
(ドイツ語と英語の表記なので、わかりやすくてありがたい)

その後に続く曲集の集め方が素敵です。
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「やさしい曲」として「キラキラ星[ぴかぴか(新しい)]」が!続く曲は「もみの木」だったり。
左手と右手と手順も記載されています。

それに続く曲には、各国の印象深い曲?と思われる編纂です。
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↑スコットランド、アイルランド、アメリカ。
アメリカのコーナーには「Yankee Doodle(アルプス一万尺のメロディ)」。

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↑ロシアのコーナーには沢山の曲が掲載されています。この国が木琴発祥に関わっていることへの敬意なのかな?と思いました。

***** ***** ***** *****
クリューゲルの演奏を聴くと、テンポ感の確かさ、右手左手の完璧なバランスコントロール、木琴という少し不自由な楽器の上に立つ音楽性、と優れた技術に圧倒されます。クラシック曲ばかりではありましたが、ここを起点にして音楽を発展されていくことが自在にできるだろうな、と思います。
そう考えると、使っていた楽器も、現在のスタイルの木琴でも、4連木琴でも、どちらの可能性もあるな、と思えてしまうのです。はっきりした答えがわかったら、また追記したいと思います。

**** **** ****
そして、ここからが追記。
クリューガーのことをティンパニ奏者の観点からご存知か、読売交響楽団の岡田全弘さんへ尋ねたところ、下記の画像を送ってくださいました。
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加えて、クリューガーの教則本の木琴の練習パターンのページ↓
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この左右どちらの手順を使うか、右rと左l、を見ると現在の2列木琴では手順がおかしいことになる、つまり、4列木琴のために書かれていることがわかります。

以上のことから、やはり、クリューガーが演奏していたのは4列木琴だった、可能性が限りなくあると思います。
(岡田さん、ありがとうございました!)

こんなふうに、疑問に思っていたことが少しずつ明らかになっていくことは本当に喜びです。
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Kurt Engel 〜クルト・エンゲル〜 [xylophonist]

12074824_941998265873835_7007830797149521539_n.jpegKurt Engel

ドイツ人の打楽器奏者・作曲家だったクルト・エンゲル。
(ドイツ語読みだとそう発音するのでしょうか?英語読みだと、カート・エンジェル、みたいになります)
1909年4月6日ドイツ・ベルリン生まれ、1967年8月6日に同じくベルリンで逝去。
木琴、ビブラフォン、マリンバなどジャズ等の他、クラシックやジャズ以外のポピュラー音楽も演奏していました。

Wikipediaによれば、
*****  *****  *****
エンゲルは 1927 年から 1950 年代にかけて、クリスタル (サンフランシスコ)、テレフンケン、メトロフォンのレーベルからのスイング タイトルを含む数多くのレコードを録音しました。ベニー・デ・ウェイル、クルト・ホーエンベルガー、フランツ・トーン、マイク・ダンツィ、エルンスト・ヘラーハーゲンなどのミュージシャンが彼の「タンズリズムマイカー」に参加しました。彼はまた、ルディ・シューリッケや、ジェームス・コック(ファニー・ヴィブラフォン奏者)、エアハルト・バウシュケ、ハンス・バンド、アーダルベルト・ルッター、オスカー・ジュースト、ハインツ・ブッシュハーゲンらのオーケストラとも共演した。最近では、エンゲルは RIAS ダンス オーケストラでティンパニストとして働き、レコーディングも行っています。

ポップ歌手のデトレフ・エンゲルは彼の息子です。
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アメリカの木琴マリンバの演奏家でもあり歴史家のデビッド・ハーヴィさんのFacebookページの投稿を訳すと、次のように紹介されています。

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1930年代、ジャズなどのスイングミュージックが台頭する中、このジャンルの音楽はヨーロッパへ広がり流行していました。アメリカと同様に、イギリスやその他ヨーロッパの国でも当時、最も「熱い!」音楽とされていました。この時代にドイツで活躍していたのが、Kurt Engelです。

Engelは5オクターブの楽器(共鳴感は真鍮製)を2本あるいは4本のマレットで演奏していました。彼の奏でる音楽は、素晴らしいスイングのフィーリングにあふれ、演奏技術も常にしっかりとしていました。Engelのバチ捌きは軽く、鮮明な音色で、同時代の木琴奏者・G.H.グリーンのものとよく似ていました。興味深いことに、この2人が使用していたマレットがとてもよく似ていて、そのせいで奏でる音も似ていた、と言えるように思います。そのマレットの柄は、ヒッコリー(クルミ科に属する硬い木)で作られマレットの先にある球の部分に行くに従って細くなっているような作りでした。写真でもその形状がわかるかと思います。

ここにあげた彼の演奏の一つ「Always Smiling」を聴けば2〜3分というわずかな時間の中にEngelのはしゃぐようなあそび一杯の雰囲気が伝わると思います。4本マレットを使う明るく軽やかな演奏が音を聞けば伝わると思います。1930年代というのは遠い過去ですが、スイング音楽が台頭である時代が蘇るようです。
(注;「Always Smiling」は、ポッドキャストへ収録しました by mika)
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YouTubeには数々のエンゲルのスイング演奏の音源があります。

# Wo Die Weißen Lotusblüten Blüh'n

# Bauklötzer, Foxtrot

# Spezial Delivery-Stomp

# San Francisco

# Harfe, An der nächsten Ecke, Slowfox, 1935

# Look Out, Little Ruth

# Tanz Rhythmiker

# Der Frechdachs

特に「Look Out, Little Ruth」はとても人気がある素敵な曲、出版もされていたり、多くの学生さんたちがリサイタルピースに選んでいるようでした。

私が所有しているSPレコードでは、スイング曲よりもアコーディオンや口笛などと一緒に演奏している軽クラシックが多く、その中でも、エンゲルは4本マレットを巧みに操り、木琴、ビブラフォン、マリンバを交互に演奏していました。

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ウェブで探せるエンゲルの写真は両手にたくさんマレットを持つものばかり[わーい(嬉しい顔)]


アコーディオン奏者兼作曲家、Hans Jungherr、Walter Pörschmann、とそのバンドと共に演奏するレコードを6枚(両面で12曲)持っています。写真はその一部↓
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中には、日本で1935年に発売されたものもありました。
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↑日本語での題字が左から右へ書かれているところに時代を感じます。第二次世界大戦中、英米のものは排除されていましたが、ドイツは同盟国だったからからか、この時代にも聴かれていたのか、と思います。

戦前、ジャズを聴いていた人達がエンゲルの演奏を聴いていたかも知れない、と思うと感慨深いです。
しっかりした演奏技術と楽しい音楽が日本人の心を捉えただろうな、と思います。

笑顔も思いっきり素敵です↓
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Jack Simpson 〜ジャック・シンプソン〜 [xylophonist]

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British Pathéに、数々の素晴らしい映像アーカイブが残っています。

British Pathé Jack Simpson

その映像の多くは、ジャック・シンプソンSEXTETというバンドでの演奏のものです。
SEXTETの編成は、ウッドベース、アコーディオン、ギター、ジャックの担当する鍵盤打楽器、を基本に、ピアノ、バイオリン、時にはオーボエやテナーサックスが入ることもありました。歌手のベティ・ケントが一緒に歌うものもあります。

とにかく、アンサンブルによる緻密で繊細なバランスというか、リズム感というか、残されているレコードの数々と映像を照らし合わせてみると、その高度な音楽技術に驚かされます。

SEXTETの演奏を集めたCDがあります。
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そのブックレットに書かれたことをざっくり要約すると、
・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
1906年9月6日 ロンドン生まれ。
父 Herbert Fisher Simpson はポピュラーソングの作曲家。

1933~1935年 Jack Payen’s Bandで演奏。(このバンドがかなり有名だったのか、初期のジャックのことを紹介する映像で「Jack Payneの主要奏者」のように紹介されています)

1936年頃〜 Piccadilly Hotel で演奏するSydney Kyteのバンドに参加(そのバンドが後に活動拠点を広げるときには退団)。Pathetoneの録音は、彼自身のタンゴバンドで行っていた。

木琴を必要とされるバンドでは引っ張り凧で、Ambrose, Freddy Gardner, Jack Hylton, Ronnie Munro, Phil Green, Lew Stone, Jay Wilbur など様々なバンドで演奏した。

1938年頃から ハワイアンバンドで演奏。
1940年 ジャック・シンプソンSEXTETを組み、1941年4月にはRex (レコードレーベル) で録音を始める。
1942年 Jackとそのグループ・Freedom Boys がDecca レコードのレコードのメドレーシリーズの録音を始め、それはMusic While You Workシリーズとして出版された。彼らフリーダムボーイズは、約200回のラジオ放送も行った。それに伴い、徐々にSEXTETでの録音が減少。
1945年 Parlophoneレコードで演奏を始める。

40代後半(1950年代中頃)にSextetを辞め、ソリストとして活動をするが、1958年に突然アメリカ・カリフォルニア州へ移住。その後、病にかかり1960年には演奏をリタイア。ガードマンとして働いていた経験もあることから、移住後、保険会社のセールスマンとして働いていた。
1977年5月7日、70歳で死去。

・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・

私の手元には、REX、Parlophone、Regal Zonophone(オーストラリア製とイングランド製)が合わせて16枚ほどありました。
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ポッドキャスト「レラ通信」で音を聴くことができます。

エピソード8「Jack Simpson」

エピソード8の2はジャックの演奏だけをまとめました。

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Harry Robbins / ハリー・ロビンス [xylophonist]

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英国で1930年代に活躍した木琴奏者・ハリー・ロビンス。
YouTubeなど、いくつか演奏している動画があります。

British Path Harry Robbins

YouTube Harry Robbins

ところが、文献で彼の生い立ちや活動状況などが書かれているものが本当に少なく、具体的に何年頃どこにいて何をしていた、とか音楽のバックグラウンドがあまりわかりません。演奏のスタイルや容姿から、とても紳士的できちんとしていた人のように思われます。

彼がPremierから出版している教則本がありますが、その中にも人物がわかる記事はありませんでした。何かの手がかり見つかるのを期待しましたが、、。
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なので、代わりにその教則本の中身を写真掲載します。

コンテンツは至って普通です。
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エクササイズのほぼ全てが↑このように、びっしりと音符で埋められています。充実した内容です。
いくつかのフレーズは、G.H.グリーンの教則本と似ていたり同じだったりするので、どこかで影響を受けていると思います(私見ですが)。

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↑4本マレットの持ち方もこの当時の標準、スタンダードグリップです。

後半4分の1はビブラフォンの教則本になっています。ここは他の巨匠たち(グリーンやブリュワーなど)と少し違ってモダンな感じがします。実際、ロビンスの録音に木琴とビブラフォンの両方を演奏しているレコードがいくつかあるので、木琴と同等に弾いていたと思うのですが、この頃はまだ、現代のような即興スタイルをするのではなく、ハーモニーとメロディを一緒に弾くスタイルだったと思います。

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↑このページのように、4本で演奏する時のアレンジが載っているのも、モダンな感じがします。
一つ一つがなんだか、きちんとしている印象を受けます。人物もきちんとしているのでは?

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人物が知りたかったのですが、なかなか辿り着けないので所蔵するSPレコードを使って動画をYouTubeに載せてみました。

Fairy Tiptoe/Julian Fredericks
https://youtu.be/QvAHc5CCWSM

Fiddlesticks/Leslie Jones
https://youtu.be/N3Ufb6MqYAI

Nutty Woods/Harry Robbins
https://youtu.be/0FKdv-LmzPM

12th Street Rag/Euday L. Bowman
https://youtu.be/kFEDxJEAXQw

Kitten On The Keys/Zez Confrey
https://youtu.be/KDCyvZQJ0eQ

Buffoon/Zez Confrey
https://youtu.be/ch_jLV6_SZ8


演奏もきちんとしているハリー・ロビンスさんです。
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Teddy Brown〜テディ・ブラウン〜 [xylophonist]

大きくて偉大なテディ・ブラウン。
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木琴黄金期に活躍した奏者の中で、動画もたくさん残っているので一番有名なのではないか、と思います。いくつかのネットや文献から集めた情報をまとめてみました。あえて「テディ」と尊敬と親しみの思いで書かせていただきます。
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(2021/12/21 修正)
(2023/04/17 修正)
【略歴】
テディ・ブラウン(1900年5月25日生まれ・出生児名;エイブラハム・ヒンメルブランド/Abraham Himmelbrand 1946年4月29日没)は、晩年の活動歴をイギリスに持つアメリカ人エンターテイナーです。

テディ・ブラウンはニューヨークで生まれ、わずか9歳の頃から様々な舞台で演奏していました。

プロの演奏家として、ニューヨークフィルハーモニックオーケストラで演奏活動を始めましたが、1910年後半にはポピュラー音楽のジャンルで活動します。ディーガン社製マリンバザイロフォン4726モデルを4本マレットで弾く世界的マリンバ奏者としても紹介されました。ジュリアス・レンバーグ・リバーサイド劇場オーケストラの打楽器奏者として活動歴もあり、1919年〜1920年にエジソンレコードで録音されたレンバーグバンドの録音では木琴奏者としての初期の演奏を聞くことができます。

木琴を最初に習ったのは、フィリップ・ローゼンワイグ(Philip Rosenweig)というツィムバロン奏者でした。そのせいか、テディのマレットの持ち方は、手の甲が完全に上を向き、腕をあまり上げず手首の動きだけで華麗なマレット捌きをしているようです。

1924年、ニューヨークホテルプラザで演奏するバンド、ヨーゼフスミス楽団のドラム奏者になり、1925年にバンドはイングランドのツアーへ。ロンドンには1926年に降り立ちます。
1926〜1927年、テディはロンドンにあったカフェ・ド・パリのバンドリーダーになり、英国でインペリアル社とヴォカリオン社のレコードを録音しています。キットカットクラブを含む、ナイトクラブで演奏を続けます。
そして、ソロ木琴奏者としてもバンドを伴奏にして複数のレコードを残しています。

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ブロードキャスト社のレコード『Fairy on the Clock』

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インペリアル社のレコード『美しく青きドナウ』

1927年、L.フォレストの発明したフォノフィルムのイギリス事業部は、テディが演奏する短編映画を作りました。
1929年にはシロクラブのバンドをリードし、パーシバル・マーキーバンドとハリー・ビグッドバンドと何枚かのレコードを作りました。
1930年代にはソロアーティストとして大変人気があり、イギリス国内あらゆるところで演奏し、ラジオ番組にも数多く出演しました。

1930年、イギリスでの卓越した演奏技術と活動歴で高い評価を得たテディは、A.ブルーネルとA.ヒッチコックが共同制作した映画「エルストリー・コーリング」に出演することになります。その映画は英国の初期映画作品として有名で、数々の映画とラジオショーが複合したような作品でした。「エルストリー・コーリング」でのテディの出演は当時、大変評判が良いものでした。作品内の3度目の登場は特に印象的で、木琴を正確に大変なスピードで演奏し、時には片手で演奏したり、後ろ向きに演奏したりしていました。
木琴の他にもテナーサックス、ドラム、と抜群のリズム感で人々を魅了します。彼の独特な演奏スタイルは、後にバンドリーダーとして活躍したスパイク・ジョーンズなど、他の打楽器奏者に影響を与えました。

1931年も引き続き、ラジオ番組、映画、そしてさまざまなライブステージで木琴を演奏をしていました。多くの聴衆に愛され、同年に英国王室が主催するチャリティ番組「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」に登場します。テディは英国王室にも愛されたコメディグループ「クレイジーギャング」とも交流があり、しばしば彼らのジョークのネタにされていました。

約160kgの体重で印象的な丸い体格だったので、同じような体格の同時代の偉大な音楽家・ポール・ホワイトマンとしばしば比較されています。外見は豊満で粋でしたが極めて機敏で演奏しながら木琴の周りでダンスをする姿もよく観られました。

1940年、テディは妻と2人の子供たちとサセックス州、リトルハンプトンへ転居します。その家に「木琴の家」と名前をつけました。そして1946年、心臓発作の病で享年45歳でこの世を去ります。最後の演奏は1946年4月29日月曜日、ウォルヴァーハンプトン大劇場でした。出演後、妻が一緒に滞在していたバーミンガムのホテルに戻ると、気分が優れず、少し心臓に違和感がある、と伝えます。翌日朝5時、テディは息を引き取りました。

サセックスデイリーニュースでの賛辞で「彼の足取りを振り返ると、出会った人々の期待を裏切ることなく満足させた音楽家だったと言える。テディ・ブラウンはただ太っているというのではなく、比類のない『ビッグマン』であった」と綴られました。
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数ある動画の中で、特にお勧めのリンクです↓

【British Pathe】https://www.britishpathe.com/video/teddy-brown

【historicfilm】
https://historicfilms.com/search/?q=teddy%20brown&fbclid=IwAR2DwdgTpanq25lazkHgKpCfMiq-zLyYw_cT-QYtMcjqca6oWJiVAmlrtwg#p1t54897i1781o2380

ブリティッシュ・パスのアーカイブはどれも素晴らしいですね。
ヒストリックフィルムの方は、木琴漫談のような面白さ。テディの技術と音楽性の凄さが一目瞭然です。

以前、参加したボブ・ベッカーさんのセミナーで参加者に配布された資料の中に「Jazz Break」という、即興の中で弾くフレーズアイデア集のようなエキササイズがあり、彼の独特な音の選び方が垣間見えるような気がします。

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愛されて若くして亡くなったテディ・ブラウン。
多くの木琴奏者・打楽器奏者の憧れの的です。

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Mika's set list of Ragtime festival in Tokyo and Sapporo 2017 [concert]

Set list and program note(in Japanese)

2017 July 29th, Tokyo
1. Cromatic Fox Trot 〜クロマティック・フォックストロット (G.H.Green)
2. Stoptime 〜ストップタイム (G.H.Green) 
3. Stoptime Rag  〜ストップタイム ラグ (S. Joplin)
4. St. Louise Blues  〜セントルイス・ブルース (W.C.Handy)
5. Alabama Moon 〜アラバマムーン (G.H.Green)
6. Jovial Jasper 〜ジョヴィアル・ジャスパー (G.H.Green)

2017 Aug. 6th, Sapporo
1. The Whistler 〜ザ・ウィスラー (G.H.Green)
2. Cross Corners 〜クロスコーナーズ (G.H.Green)
3. Log Cabin Blues 〜ログキャビン・ブルース (G.H.Green)
4. St. Louise Blues  〜セントルイス・ブルース (W.C.Handy)
5. Alabama Moon 〜アラバマムーン  (G.H.Green)

昨年の札幌でのフェスティバルに続き、今年は東京と札幌の2カ所でフェスティバルがありました。1926年頃製造されたLeedy木琴でラグタイムが演奏出来る貴重な機会です。楽器も沢山のお客様に聴いて頂けて『本領発揮』という感じで嬉しそうでした。
札幌ライブ、YouTubeにあります。私は2時間後くらいから出番でした。


今回は、ジョージ・ハミルトン・グリーンをフォーカスしてみました。

◆『Cromatic Fox Trot』『The Whistler』『Cross Corners』は【Jazz Fox Trot】
◆『Log Cabin Blues』は【Blue Fox Trot】
◆『Jovial Jasper』は【Slow Drag】
◆『Stoptime』は【One Step】

とそれぞれのタイトルに、ラグタイム時代のダンスの種類が添えられています。

Stoptime以外は、1924年に当時一作品1ドルで販売されました。
GHG_JazzClMdnRag.jpg
↑『Rainbow Ripples』の表紙に印刷されています。

1984年にメレディス出版から1冊の曲集として纏められて発売されています↓

Xylophone Rags of George Hamilton Green

Xylophone Rags of George Hamilton Green

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Hal Leonard Corp
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: ペーパーバック




1924年当時販売される時、それぞれの曲の紹介文として『Cromatic Fox Trot〜A ragtime feature of the chromatic scale=クロマティックスケールを特徴としたラグタイム』、『Log Cabin Blues〜A real blue number=決定的“ブルー”な曲』、『Cross Corners〜A jazz version in double-stops=重音奏法ジャズバージョン』、『The Whistler〜Something different=何か違う物=何か新しい物』とキャッチコピーが添えられていたそうです。
image.jpg


『Alabama Moon』はワルツ調の歌曲で、1920〜1921年の間、Sam Fox出版で最もヒットしてよく売れた曲でした。楽譜で販売されたほか、様々な演奏形態で録音されレコードが発売されました。
IMG_1562.jpg

歌の歌詞は下記の通り;

※ Alabama moon, coming out so soon,
Shining thro' the trees where ev-'ning breeze gently croon;

Cotton fields of white, swaying in the night,
Dreaming of an Alabama moon. ※※

Darkies softly hum, banjos gently strum,
Songs of Dixieland, songs you'll understand,

(repeat※〜※※)

Moonlight down in Alabama shining bright,
Shadows softly come a stealing in the night,
With June birds flying 'cross the fields of cotton so white,
Where the Alabama moon is shining bright.

(repeat※〜※※)

訳してみます;

※アラバマの月が もうすぐ昇る
柔らかな夜風がささやき 木々の間に輝く

真っ白なコットン畑、夜の中をそよぐ
アラバマの月を 夢見ながら※※

黒人達は柔らかにハミングし バンジョーが優しく歌う
デキシーランドの歌を 君が知る歌を

(repeat※〜※※)

アラバマに 月の光が差し 明るく輝く
影達は 夜の中に ひっそりと行き来する
6月の鳥たちも 真っ白なコットン畑に飛び交う 
そこには アラバマの月が明るく輝いている

(repeat※〜※※)

以上。

特別に深い意味がある歌詞ではありませんが、メロディに乗った時に本当に美しい歌曲になります。E♭メジャーの曲ですが、「Darkies softly~」からのフレーズが Cマイナーに転調されて、メロディと詞の世界観が一致しているように思います。こういうのが『名曲』だな、と思います。
今回もクニ河内さんに一緒に演奏して頂きましたが、クニさん「この曲、難しい。一音違う所弾くと戻れないし世界が変わっちゃう」と言ってました。


その他に演奏した曲について・・・
いまやジャズのスタンダード曲『St. Louise Blues』ですが、この日は1926年にグリーンとフランク・バンタが録音した物のトランスクリプションを弾きました。クニさんは、クニさんバージョンのこの曲を即興で。グリーンとクニさんのコラボみたいになるかな、という試み。毎回、練習の時もクニさんのピアノが変わるので、本番はスリル満点です。

グリーンは『Blues』について、教則本の中で「ラグタイム、ジャズ、ブルースを弾く時に最も重要なことはアクセントを正しい音につけること」と書いています。1曲だけではグリーンの考えるブルースについて解らないので、他のブルースについてもコピーして弾いて研究してみようと思います。

グリーンの作品を弾くと、基本に立ち返りたい衝動に駆られます。楽譜をパッと見ると、音符だらけで黒く見えるラグタイムの楽譜ですが、それをどうすれば弾けるようになるか、方法やヒントも教則本の中で懇切丁寧にグリーンは指導しています。
やはり神でした。


Instruction Course for Xylophone

Instruction Course for Xylophone

  • 出版社/メーカー: Hal Leonard
  • 発売日: 2000/03/01
  • メディア: Kindle版



New Elementary Studies for Xylophone And Marimba

New Elementary Studies for Xylophone And Marimba

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Meredith Music Pubns
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: ペーパーバック



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