ジョージ・ハミルトン・グリーン 音楽生活 概要年表 [George Hamilton Green]
(copyright (c) Ryan Lewis)
ライアン・ルイス氏の論文から、訳してあります。
(拙い訳ですみません)
1893年5月23日
*ネブラスカ州オマハに生まれる
1897年5月(4歳)
*ピアノを習い始め、『神童』と呼ばれる
1901年(8歳)
*木琴との最初の出会い
1903年(10歳)
*アーネスト・ノルディンにバイオリンを習う
1905-1911年 (12歳〜18歳)
*オマハにあるレイク学校又はオマハ高校へ通う(推測)
1905年9月(12歳)
*オマハにあるクレイトン高校(現クレイトン・準備校)へ通う
1906年8月26日(13歳)
*初めて公共の場・オマハのハンスコム公園で、父親のバンドをバックに、
曲目「ピーター・パイパー」を木琴でソロ演奏する。
1906年11月21〜22日
*オマハのリリック劇場で初めてのボードビル演奏。
『木琴の巨匠ジョージ・ハミルトン・グリーン木琴独奏旋風』のタイトルで登場する。
1906〜1912年(13〜19歳)
*オマハのサイモンド・ランズバーグ教授にピアノと作曲を学ぶ。
1906年12月まで
*アイオワ、ネブラスカ、イリノイ各州のボードビル劇場で演奏する。
1910年(17歳)
*17歳でドラム演奏を学び、父親のバンドで、木琴、ベル、ドラムを演奏する。
1912年9月(19歳)
*オマハのエンプレス劇場で定期的に演奏する。
1914年6月(21歳)
*ジョージア・エレン・アンダーソンと結婚する。
1914-1918年(21〜25歳) #第一次世界大戦
1914年夏
*シカゴのJ.C.ディーガンに立ち寄り、木琴の特注生産を依頼する。
1915年(22歳)
*オマハで第一子の息子、ジェラルドが誕生する。
1915年2月~5月
*シカゴの様々なホテルで演奏し、カイザーホテルのソリストとして
エージェントのエドガーA.ベンソンと契約した。
1915年夏
*ミシガン州グランドラピッズのオワシュタノング倶楽部に於いて、
シノア・カーマイン・バーリー指揮によるオーケストラで演奏する。
1915年12月~1916年6月
*バーリーとデトロイトアスレチッククラブで再び演奏する。
1916年夏(23歳)
*ミシガン州グランドラピッズのオワシュタノング倶楽部に於いて
アンドリュー・レイモンド指揮のオーケストラで演奏する。
1916年秋(23歳)
*エジソン・フォノグラフ(エジソン社)と契約し、初のスタジオ録音として、6枚のレコードを作る。
*シカゴの『デキシーミュージックハウス』から木琴用に編曲された最初の楽譜を出版する。.
*ニューヨークで『アール・フラー・レクターハウスオーケストラ』で初めての演奏をする。
1916年12月
*エジソン社で『オールスタートリオ』が初めて録音する。
1917年冬まで(24歳)
*J.C.ディーガン社製の楽器広告に名前が載る。
1917年4月
*『ザ・ノッカー(The Knocker)』に『木琴』のタイトルで記事を書く。
1917年8月まで
*エジソン社、ビクター社、パス社、オーケイ社で、録音演奏する。
1917年9月
*ハリー・ヤークス率いる『ヤークス・ジャザリンバ・バンド』で初のレコーディングをする。
1918年(25歳)
*ニューヨーク劇場で初めて、兄ジョーと共にグリーンブラザーズが演奏する。
1918年10月まで
*『グリーンブラザーズ・ノベルティオーケストラ』がエジソン社で録音する。
1918年
*『ザ・ノッカー』に『ジョージ・ハミルトン・グリーンによる木琴の独奏』のタイトルで記事を書く。
1919年まで(26歳)
*テッド・ブラウン、ダニエル&ウォーカーと共に、オリジナル作品を出版していた。
*サム・フォックス社から出版された『フラッフィ・ラッフルズ』がヒットする。
1920年(27歳)
*『アラバマ・ムーン』が年間で最も売れた曲の一つになる。
1921年まで(28歳)
*ディーガン社からリーディ・ドラムカンパニー社の製品に楽器を変更する。
1922年3月(29歳)
*『The Green Brothers Advanced Instructor for Xylophone(グリーンブラザーズ木琴上級者用教則本)』を出版する。
(写真左の緑の表紙の本)
*第2子として、娘エレノアが、ニューヨークで誕生する。
1922年3月16日
*WJZ 放送局で、Okehレコードアーティストらと初めてのラジオ出演をする。
1922年秋まで
*ジョージと兄ジョーは2000曲以上のレコーディングを行う。
1923年5月(30歳)
*U.G.Leedy氏(米国の打楽器メーカー・リーディ社の創設者)と共に、
ニューヨークで行われた『セルマー・ドラムウィーク』のイベント出演をする。
1923年6月7日
*リーディ社が、『リーディ・ドラムトピックス』の第1号を出版し、その中で、グリーン兄弟と、『リーディ・ソロトーン・グリーンブラザーズ・スペシャルザイロフォン』について主に取り上げた。
1924年(31歳)
*『GHG木琴のためのジャズクラッシック・ピアノ伴奏付モダンラグタイムソロ集』というオリジナル作品のフォリオ(二つ折り版の楽譜)を自費出版する。
*リーディが『グリーン兄弟木琴のための初心者用メソッド』を出版する。
1924-1925年(31〜32歳)
*『GHG・木琴のためのニューインストラクションコース』という50通にわたる通信学習教材を自費出版する。
↓
1926年3月まで(33歳)
*シノラ・ビキシー・ポリッシュ社提供によるラジオショー番組にシノラ・メリーメーカーズと共に、出演する。
1927年(34歳)
*カール・フィッシャー出版社が木琴とピアノのための作品のうち、人気のある6作品を出版する。
*サム・フォックス出版社が木琴と、ピアノ、バンド、またはフルオーケストラ伴奏付のクラシック曲を木琴用に編曲した20作品を出版する。
1927年1月-1928年4月位まで
*リーディのプロモーションツアーとして、アメリカ全土を広く旅する。
1928年9月30日(35歳)
*ウォルト・ディズニーの映画『蒸気船ウイリー』のサウンドトラックを兄ジョーとルイスと共に録音する。
1929年(36歳)
*フォックス社が『GHGのサムフォックス・ヒット曲の木琴独奏曲集』を出版する。
1929年10月24日 #株価大暴落の世界恐慌が始まる。
1931年10月まで(38歳)
*B.A.ルロフオーケストラと共に、NBCにレギュラー出演する。
1935年(42歳)
*会社との仲間割れの後、リーディとの関係を取り戻す。
1935年12月
*「リーディ・ドラムトピックス」に登場し、同社はGHGザイロフォンを製産する。
*カールフィッシャー出版社が、木琴のための、クラシック、オジリナル、ポピュラーの
GHGによる編曲の内、8作品を出版する。
1936年(43歳)
*カールフィッシャー出版社が、クライスラー作品の木琴用編曲、6作品を出版する。
*CBS放送局の番組『パームオリーブ「カモン!レツシング」ショー』で
クロイスター・ベルオーケストラの中でビブラフォン、ベル、チャイムを演奏する。.
*WJZ放送局の番組『クロイスター・ベル』ショーで、兄ジョーと共に演奏する。
1936年1~4月
*音楽店のデモンストレーション演奏者として、リーディ社のために演奏する。
1936-1937年(43〜44歳)
*『GHG 木琴とマリンバのためのニュー・シリーズ・オブ・インディビジュアル・インストラクションコース:モダン・インプロバイジング・アンド・アプリケイション・オブ・アイデアズ・トゥ・メロディ』(注:直訳すると「GHG木琴とマリンバの為の新しい個別指導教則本・メロディへの最新即興演奏方法と応用」)という題名の35通にわたる通信教材を自費出版する。
↓
1937年7月(44歳)
*ニューヨークで雑誌『コリアーズ』に初めて風刺画が掲載される。
1939年10月16日(46歳)
*兄ジョー(ヨーゼフ・ペーター・グリーン)がニューヨークで逝去する。
1946年(53歳)
*音楽業界から引退し、引退後はニューヨーク州ウッドストックで過ごす。
1970年9月11日(77歳)
*ニューヨーク州ウッドストックの病院で逝去。
原文を訳しただけでは、詳細が伝わらないかもしれません。
もうちょっと、分かりやすく、GHグリーンのこと、
紹介出来れば良いな、と思います。
(がんばるぞ)
ライアン・ルイス氏の論文から、訳してあります。
(拙い訳ですみません)
1893年5月23日
*ネブラスカ州オマハに生まれる
1897年5月(4歳)
*ピアノを習い始め、『神童』と呼ばれる
1901年(8歳)
*木琴との最初の出会い
1903年(10歳)
*アーネスト・ノルディンにバイオリンを習う
1905-1911年 (12歳〜18歳)
*オマハにあるレイク学校又はオマハ高校へ通う(推測)
1905年9月(12歳)
*オマハにあるクレイトン高校(現クレイトン・準備校)へ通う
1906年8月26日(13歳)
*初めて公共の場・オマハのハンスコム公園で、父親のバンドをバックに、
曲目「ピーター・パイパー」を木琴でソロ演奏する。
1906年11月21〜22日
*オマハのリリック劇場で初めてのボードビル演奏。
『木琴の巨匠ジョージ・ハミルトン・グリーン木琴独奏旋風』のタイトルで登場する。
1906〜1912年(13〜19歳)
*オマハのサイモンド・ランズバーグ教授にピアノと作曲を学ぶ。
1906年12月まで
*アイオワ、ネブラスカ、イリノイ各州のボードビル劇場で演奏する。
1910年(17歳)
*17歳でドラム演奏を学び、父親のバンドで、木琴、ベル、ドラムを演奏する。
1912年9月(19歳)
*オマハのエンプレス劇場で定期的に演奏する。
1914年6月(21歳)
*ジョージア・エレン・アンダーソンと結婚する。
1914-1918年(21〜25歳) #第一次世界大戦
1914年夏
*シカゴのJ.C.ディーガンに立ち寄り、木琴の特注生産を依頼する。
1915年(22歳)
*オマハで第一子の息子、ジェラルドが誕生する。
1915年2月~5月
*シカゴの様々なホテルで演奏し、カイザーホテルのソリストとして
エージェントのエドガーA.ベンソンと契約した。
1915年夏
*ミシガン州グランドラピッズのオワシュタノング倶楽部に於いて、
シノア・カーマイン・バーリー指揮によるオーケストラで演奏する。
1915年12月~1916年6月
*バーリーとデトロイトアスレチッククラブで再び演奏する。
1916年夏(23歳)
*ミシガン州グランドラピッズのオワシュタノング倶楽部に於いて
アンドリュー・レイモンド指揮のオーケストラで演奏する。
1916年秋(23歳)
*エジソン・フォノグラフ(エジソン社)と契約し、初のスタジオ録音として、6枚のレコードを作る。
*シカゴの『デキシーミュージックハウス』から木琴用に編曲された最初の楽譜を出版する。.
*ニューヨークで『アール・フラー・レクターハウスオーケストラ』で初めての演奏をする。
1916年12月
*エジソン社で『オールスタートリオ』が初めて録音する。
1917年冬まで(24歳)
*J.C.ディーガン社製の楽器広告に名前が載る。
1917年4月
*『ザ・ノッカー(The Knocker)』に『木琴』のタイトルで記事を書く。
1917年8月まで
*エジソン社、ビクター社、パス社、オーケイ社で、録音演奏する。
1917年9月
*ハリー・ヤークス率いる『ヤークス・ジャザリンバ・バンド』で初のレコーディングをする。
1918年(25歳)
*ニューヨーク劇場で初めて、兄ジョーと共にグリーンブラザーズが演奏する。
1918年10月まで
*『グリーンブラザーズ・ノベルティオーケストラ』がエジソン社で録音する。
1918年
*『ザ・ノッカー』に『ジョージ・ハミルトン・グリーンによる木琴の独奏』のタイトルで記事を書く。
1919年まで(26歳)
*テッド・ブラウン、ダニエル&ウォーカーと共に、オリジナル作品を出版していた。
*サム・フォックス社から出版された『フラッフィ・ラッフルズ』がヒットする。
1920年(27歳)
*『アラバマ・ムーン』が年間で最も売れた曲の一つになる。
1921年まで(28歳)
*ディーガン社からリーディ・ドラムカンパニー社の製品に楽器を変更する。
1922年3月(29歳)
*『The Green Brothers Advanced Instructor for Xylophone(グリーンブラザーズ木琴上級者用教則本)』を出版する。
(写真左の緑の表紙の本)
*第2子として、娘エレノアが、ニューヨークで誕生する。
1922年3月16日
*WJZ 放送局で、Okehレコードアーティストらと初めてのラジオ出演をする。
1922年秋まで
*ジョージと兄ジョーは2000曲以上のレコーディングを行う。
1923年5月(30歳)
*U.G.Leedy氏(米国の打楽器メーカー・リーディ社の創設者)と共に、
ニューヨークで行われた『セルマー・ドラムウィーク』のイベント出演をする。
1923年6月7日
*リーディ社が、『リーディ・ドラムトピックス』の第1号を出版し、その中で、グリーン兄弟と、『リーディ・ソロトーン・グリーンブラザーズ・スペシャルザイロフォン』について主に取り上げた。
1924年(31歳)
*『GHG木琴のためのジャズクラッシック・ピアノ伴奏付モダンラグタイムソロ集』というオリジナル作品のフォリオ(二つ折り版の楽譜)を自費出版する。
*リーディが『グリーン兄弟木琴のための初心者用メソッド』を出版する。
1924-1925年(31〜32歳)
*『GHG・木琴のためのニューインストラクションコース』という50通にわたる通信学習教材を自費出版する。
↓
Instruction Course for Xylophone
- 作者:
- 出版社/メーカー: Hal Leonard Corp
- 発売日: 2000/03
- メディア: ペーパーバック
1926年3月まで(33歳)
*シノラ・ビキシー・ポリッシュ社提供によるラジオショー番組にシノラ・メリーメーカーズと共に、出演する。
1927年(34歳)
*カール・フィッシャー出版社が木琴とピアノのための作品のうち、人気のある6作品を出版する。
*サム・フォックス出版社が木琴と、ピアノ、バンド、またはフルオーケストラ伴奏付のクラシック曲を木琴用に編曲した20作品を出版する。
1927年1月-1928年4月位まで
*リーディのプロモーションツアーとして、アメリカ全土を広く旅する。
1928年9月30日(35歳)
*ウォルト・ディズニーの映画『蒸気船ウイリー』のサウンドトラックを兄ジョーとルイスと共に録音する。
1929年(36歳)
*フォックス社が『GHGのサムフォックス・ヒット曲の木琴独奏曲集』を出版する。
1929年10月24日 #株価大暴落の世界恐慌が始まる。
1931年10月まで(38歳)
*B.A.ルロフオーケストラと共に、NBCにレギュラー出演する。
1935年(42歳)
*会社との仲間割れの後、リーディとの関係を取り戻す。
1935年12月
*「リーディ・ドラムトピックス」に登場し、同社はGHGザイロフォンを製産する。
*カールフィッシャー出版社が、木琴のための、クラシック、オジリナル、ポピュラーの
GHGによる編曲の内、8作品を出版する。
1936年(43歳)
*カールフィッシャー出版社が、クライスラー作品の木琴用編曲、6作品を出版する。
*CBS放送局の番組『パームオリーブ「カモン!レツシング」ショー』で
クロイスター・ベルオーケストラの中でビブラフォン、ベル、チャイムを演奏する。.
*WJZ放送局の番組『クロイスター・ベル』ショーで、兄ジョーと共に演奏する。
1936年1~4月
*音楽店のデモンストレーション演奏者として、リーディ社のために演奏する。
1936-1937年(43〜44歳)
*『GHG 木琴とマリンバのためのニュー・シリーズ・オブ・インディビジュアル・インストラクションコース:モダン・インプロバイジング・アンド・アプリケイション・オブ・アイデアズ・トゥ・メロディ』(注:直訳すると「GHG木琴とマリンバの為の新しい個別指導教則本・メロディへの最新即興演奏方法と応用」)という題名の35通にわたる通信教材を自費出版する。
↓
George Hamilton Green's New Series of Individual Instruction Courses for Xylophone and Marimba
- 作者: George Green
- 出版社/メーカー: Meredith Music Pubns
- 発売日: 1993/03
- メディア: ペーパーバック
1937年7月(44歳)
*ニューヨークで雑誌『コリアーズ』に初めて風刺画が掲載される。
1939年10月16日(46歳)
*兄ジョー(ヨーゼフ・ペーター・グリーン)がニューヨークで逝去する。
1946年(53歳)
*音楽業界から引退し、引退後はニューヨーク州ウッドストックで過ごす。
1970年9月11日(77歳)
*ニューヨーク州ウッドストックの病院で逝去。
原文を訳しただけでは、詳細が伝わらないかもしれません。
もうちょっと、分かりやすく、GHグリーンのこと、
紹介出来れば良いな、と思います。
(がんばるぞ)
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