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ポール・クレストン作マリンバとオーケストラの為の小協奏曲 [songs & works]

(今日は、木琴では無くマリンバの作品ですが、歴史的に大事な曲、ということで記載します)

今から75年前の4月29日、アメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで、マリンバの協奏曲として世界初の作品である、この曲が初演されました。
演奏したのは、マリンバのソリストが、ルース・ステューバ(Ruth Stuber Jeanne)、フレデリック・ペトゥリーデス(Frédérique Petrides)指揮、オーケストレット・クラシーク(Orchestrette Classique)伴奏です。

(以下、ウィキペディア参照しました)
ルース・ステューバは、1910年5月13日シカゴ生まれ。1933年、シカゴにいる時、ステューバはマリンバを手に入れました。その時の彼女の印象は「とにかく興奮した!」。彼女の最初のマリンバの先生はクレア・オマー・マッサー(1901~1998)でした。1933年にシカゴで行われた世界博覧会でマッサーの率いる100台マリンバアンサンブルの一員として演奏しました。1936年にニューヨークへ移住し、そこでは、G.H,グリーンにマリンバを、メトロポリタンオペラオーケストラの打楽器奏者(ティンパニ奏者)・ジョージ・ブラウン(1920年~1954年在籍)にティンパニを学びました。

オーケストラ伴奏をした、オーケストレット・クラシークは、女性指揮者フレデリック・ペトゥリーデス(1903年9月26日ベルギー・アントワープ生まれ)により1932年に設立され1943年までの間活動していた、30〜40人の女性演奏家だけによる室内楽団でした。当時としては、女性が指揮をすることはあり得ないほど珍しいことでした。
フレデリックの母は才能溢れる人で有名な作曲家、ピアノニストであり、同時に画家でもあり写真家でもありました。フレデリックに音楽を教えたのも彼女の母でした。
1931年フレデリックは、ジャーナリストだったピーター・ペトゥリーデスと結婚します。彼は、フレデリックを、彼女のキャリア=オーケストラの指揮者としての活動、マネージメント、宣伝マンとして心の底から支えました。

12年間による活動の間に、このオーケストレットは主に、アメリカ人作曲家の当時まだ余り知られていなかった作品を委嘱し演奏してきました。デイヴィッド・ダイアモンド(室内楽の為の協奏曲)、アーロン・コープランド(クワイエット・シティ)、サミュエル・バーバー(弦楽の為のアダージョ)他、数々の作品の中の一つに、ポール・クレストン作曲のマリンバの為の小協奏曲がありました。

活動をやめた43年後の1981年に、フレデリックは次の様に話しました。
「私は、質の高い音楽家を求めていたので、オーケストラを拡大しませんでした。殆どのメンバーはカーティス音楽院とジュリアード音楽校で学んでいました。特筆すべきは、当時、バスーン、オーボエ、ホルン、クラリネットとトランペットは、本当に少しの女性しか演奏していなかった、ということです。両親達は彼女たちにそれらの楽器を演奏させたくなかったのでしょう、なぜなら、それらの楽器は女性らしく無かったからです。
私の考えは、良い音楽家により、熟練した演奏をする為にオーケストレットを小さくしておくことでした。女性演奏家達へ、ストレスを掛けたりなんてしませんでしたよ。彼女たちは才能があり、ニューヨークフィルハーモニックの演奏者が彼女たちの優秀な指導者でした。手がけたコンサートは偉大な作曲家達のあまり有名では無い作品を演奏したり、若いアメリカ人作曲家による初演作品でしたから、ユニークだったと思います。
コンサートは大抵は月曜の夜でした。何故かと言えば、月曜日の夜はニューヨークフィルの演奏会が無かったので、批評家達も集客できたからです。私達は都会の生活に、新たな音楽的側面を与えたと思います。」

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この小協奏曲が初演された時、クレストンは33歳でした。独学で音楽を学んだ、というクレストンですが、形式的には、古典〜ロマン派を踏襲するクラシカルなスタイルの協奏曲になっています。
16分音符三連符付点音符がくっきりとしたメロディに現れ、時に流れるようなメロディが現れる一楽章と、16分音符が絶え間なく続く三楽章は2本で、コラールを思わせるような柔らかなフレーズを奏でる2楽章は4本マレットで演奏されます。

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数日前、Facebookのページに、クレストンの小協奏曲について、デヴィッド・ハーヴィさんが音源と共に紹介すしてくれた記事がありました。
(ここでは、音源のリンクを掲載できませんでした)

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1967年にオーケストラ(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)と共にクレストンのマリンバ小協奏曲の第一楽章を演奏するチャールズ・オーエンです。
面白いことに、これはアメリカでマルチ・トーン・マレットが最初に使用された例で、この演奏のために特に考案された物でした。
クレストン作品の録音日付は近づいてきても、オーエンは彼が所有したマリンバ・マレットの音色に満足していませんでした。
彼は、同僚の木琴奏者・ハリー=ブリュワーに助言を求めました。
2人は、マリンバと様々な種類のマレットのもとに集いました。
チャールズ・オーエンが色々なマレットを試す間、ブリュワーは部屋を歩き回り、その音色を聞いていました。
彼らは、利用できる物が存在しない、と合意しました。
そのために、彼らは実験をしてみました:彼らは、1インチの青いゴム球のついたマッサー・マレットを取り出しました。彼らは、薄いフェルトで、そのマッサーマレットをくるみました。
結果は、中央と低い音域では柔らかい音色、高音域のかなりクリアな音質が出る物になりました。
オーエンとブリュワーは、このデザインがクレストンを演奏するための最高の選択であると同意しました。
これらのマレットは下の写真の中で見えて、レコーディングにおいてはっきり聞き取れます。
マリンバ史における2つの画期的出来事でした。一つは、メジャーな作曲家によるオーケストラ伴奏でのマリンバコンチェルト演奏の最初の録音、もう一つは発のアメリカでのマルチ・トーンのマレットを使用した録音だった、ということです。

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今でも多くのマリンバ奏者が演奏する素晴らしい作品です。

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