Castle Valse Classique [songs & works]
タイトルの『Castle』から、「優雅にお城で演奏するワルツ?」と思っていたら、勘違いでした(笑)。
この曲は、1894年にドヴォルザークが作曲した『ユーモレスク』が、Ford T.Dabneyにより3拍子に編曲された曲で、1914年にはピアノピースとして出版されています。
シートミュージックの拍子の右下に『Introduced by Mr. and Mrs. Vernon Castle』と書かれています。このキャッスル(Castle)夫妻は、1910〜20年代にアメリカで大活躍していた社交ダンス界の大御所で、この夫妻が、現在競技ダンス(社交ダンス)で踊られている様々なダンスを発明というか、生み出していったそうです。ダンスと同じくして、夫妻のためのダンス曲も沢山作曲され、この曲は、その内の一つです。
1917年ニューヨークにあった『Rector’s Restaurant』にキャッスル夫妻が来て踊った時、そのレストラン専属の『Earl Fuller’s Rector Novelty Orchestra』が演奏しており、その楽団でG.H.グリーンは木琴を弾いていました。
キャッスル夫妻の伴奏を演奏する時、グリーンは卓越したテクニックで、16分音符のアルペジオを副旋律として弾いていました。1917年〜1920年の間に、この曲のグリーン演奏によるレコーディングが少なくても8回行われて、それぞれ違う演奏(=副旋律のメロディライン)でグリーンの録音が残っています。共通するのは、16分音符の流れるようなアルペジオで、ラグタイム奏法で言う『ダブルバック』のスタイルを聞くことが出来ます。
その内の一つ、1918年・Emerson(#3290-1)の録音で演奏したものを、木琴研究会・木村百合香さんが聞き取り音符に書き起こしたものが出版されています。
楽譜『Castle Valse Classique』は、以下のリンク先で購入できます。
*ブルーマレット→ こちら
*malltech(米国)→ こちら
音源は、この↓アルバムに『Valse Classique』のタイトルで収録されています。
↓こちらもお薦め!6枚組のセット。
↑DISC3の3曲目に『Masters of the Xylophone』とは違うバージョン(1917年7月録音、レーベルは?)が収録されています。Earl Fuller's orchestraの伴奏です。
(2017/02/22加筆修正)
この曲は、1894年にドヴォルザークが作曲した『ユーモレスク』が、Ford T.Dabneyにより3拍子に編曲された曲で、1914年にはピアノピースとして出版されています。
シートミュージックの拍子の右下に『Introduced by Mr. and Mrs. Vernon Castle』と書かれています。このキャッスル(Castle)夫妻は、1910〜20年代にアメリカで大活躍していた社交ダンス界の大御所で、この夫妻が、現在競技ダンス(社交ダンス)で踊られている様々なダンスを発明というか、生み出していったそうです。ダンスと同じくして、夫妻のためのダンス曲も沢山作曲され、この曲は、その内の一つです。
1917年ニューヨークにあった『Rector’s Restaurant』にキャッスル夫妻が来て踊った時、そのレストラン専属の『Earl Fuller’s Rector Novelty Orchestra』が演奏しており、その楽団でG.H.グリーンは木琴を弾いていました。
キャッスル夫妻の伴奏を演奏する時、グリーンは卓越したテクニックで、16分音符のアルペジオを副旋律として弾いていました。1917年〜1920年の間に、この曲のグリーン演奏によるレコーディングが少なくても8回行われて、それぞれ違う演奏(=副旋律のメロディライン)でグリーンの録音が残っています。共通するのは、16分音符の流れるようなアルペジオで、ラグタイム奏法で言う『ダブルバック』のスタイルを聞くことが出来ます。
その内の一つ、1918年・Emerson(#3290-1)の録音で演奏したものを、木琴研究会・木村百合香さんが聞き取り音符に書き起こしたものが出版されています。
楽譜『Castle Valse Classique』は、以下のリンク先で購入できます。
*ブルーマレット→ こちら
*malltech(米国)→ こちら
音源は、この↓アルバムに『Valse Classique』のタイトルで収録されています。
↓こちらもお薦め!6枚組のセット。
Green Brothers Masters of the Xylophone
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: CD Baby
- 発売日: 2012/05/29
- メディア: CD
↑DISC3の3曲目に『Masters of the Xylophone』とは違うバージョン(1917年7月録音、レーベルは?)が収録されています。Earl Fuller's orchestraの伴奏です。
(2017/02/22加筆修正)
ポール・クレストン作マリンバとオーケストラの為の小協奏曲 [songs & works]
(今日は、木琴では無くマリンバの作品ですが、歴史的に大事な曲、ということで記載します)
今から75年前の4月29日、アメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで、マリンバの協奏曲として世界初の作品である、この曲が初演されました。
演奏したのは、マリンバのソリストが、ルース・ステューバ(Ruth Stuber Jeanne)、フレデリック・ペトゥリーデス(Frédérique Petrides)指揮、オーケストレット・クラシーク(Orchestrette Classique)伴奏です。
(以下、ウィキペディア参照しました)
ルース・ステューバは、1910年5月13日シカゴ生まれ。1933年、シカゴにいる時、ステューバはマリンバを手に入れました。その時の彼女の印象は「とにかく興奮した!」。彼女の最初のマリンバの先生はクレア・オマー・マッサー(1901~1998)でした。1933年にシカゴで行われた世界博覧会でマッサーの率いる100台マリンバアンサンブルの一員として演奏しました。1936年にニューヨークへ移住し、そこでは、G.H,グリーンにマリンバを、メトロポリタンオペラオーケストラの打楽器奏者(ティンパニ奏者)・ジョージ・ブラウン(1920年~1954年在籍)にティンパニを学びました。
オーケストラ伴奏をした、オーケストレット・クラシークは、女性指揮者フレデリック・ペトゥリーデス(1903年9月26日ベルギー・アントワープ生まれ)により1932年に設立され1943年までの間活動していた、30〜40人の女性演奏家だけによる室内楽団でした。当時としては、女性が指揮をすることはあり得ないほど珍しいことでした。
フレデリックの母は才能溢れる人で有名な作曲家、ピアノニストであり、同時に画家でもあり写真家でもありました。フレデリックに音楽を教えたのも彼女の母でした。
1931年フレデリックは、ジャーナリストだったピーター・ペトゥリーデスと結婚します。彼は、フレデリックを、彼女のキャリア=オーケストラの指揮者としての活動、マネージメント、宣伝マンとして心の底から支えました。
12年間による活動の間に、このオーケストレットは主に、アメリカ人作曲家の当時まだ余り知られていなかった作品を委嘱し演奏してきました。デイヴィッド・ダイアモンド(室内楽の為の協奏曲)、アーロン・コープランド(クワイエット・シティ)、サミュエル・バーバー(弦楽の為のアダージョ)他、数々の作品の中の一つに、ポール・クレストン作曲のマリンバの為の小協奏曲がありました。
活動をやめた43年後の1981年に、フレデリックは次の様に話しました。
「私は、質の高い音楽家を求めていたので、オーケストラを拡大しませんでした。殆どのメンバーはカーティス音楽院とジュリアード音楽校で学んでいました。特筆すべきは、当時、バスーン、オーボエ、ホルン、クラリネットとトランペットは、本当に少しの女性しか演奏していなかった、ということです。両親達は彼女たちにそれらの楽器を演奏させたくなかったのでしょう、なぜなら、それらの楽器は女性らしく無かったからです。
私の考えは、良い音楽家により、熟練した演奏をする為にオーケストレットを小さくしておくことでした。女性演奏家達へ、ストレスを掛けたりなんてしませんでしたよ。彼女たちは才能があり、ニューヨークフィルハーモニックの演奏者が彼女たちの優秀な指導者でした。手がけたコンサートは偉大な作曲家達のあまり有名では無い作品を演奏したり、若いアメリカ人作曲家による初演作品でしたから、ユニークだったと思います。
コンサートは大抵は月曜の夜でした。何故かと言えば、月曜日の夜はニューヨークフィルの演奏会が無かったので、批評家達も集客できたからです。私達は都会の生活に、新たな音楽的側面を与えたと思います。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この小協奏曲が初演された時、クレストンは33歳でした。独学で音楽を学んだ、というクレストンですが、形式的には、古典〜ロマン派を踏襲するクラシカルなスタイルの協奏曲になっています。
16分音符三連符付点音符がくっきりとしたメロディに現れ、時に流れるようなメロディが現れる一楽章と、16分音符が絶え間なく続く三楽章は2本で、コラールを思わせるような柔らかなフレーズを奏でる2楽章は4本マレットで演奏されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数日前、Facebookのページに、クレストンの小協奏曲について、デヴィッド・ハーヴィさんが音源と共に紹介すしてくれた記事がありました。
(ここでは、音源のリンクを掲載できませんでした)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1967年にオーケストラ(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)と共にクレストンのマリンバ小協奏曲の第一楽章を演奏するチャールズ・オーエンです。
面白いことに、これはアメリカでマルチ・トーン・マレットが最初に使用された例で、この演奏のために特に考案された物でした。
クレストン作品の録音日付は近づいてきても、オーエンは彼が所有したマリンバ・マレットの音色に満足していませんでした。
彼は、同僚の木琴奏者・ハリー=ブリュワーに助言を求めました。
2人は、マリンバと様々な種類のマレットのもとに集いました。
チャールズ・オーエンが色々なマレットを試す間、ブリュワーは部屋を歩き回り、その音色を聞いていました。
彼らは、利用できる物が存在しない、と合意しました。
そのために、彼らは実験をしてみました:彼らは、1インチの青いゴム球のついたマッサー・マレットを取り出しました。彼らは、薄いフェルトで、そのマッサーマレットをくるみました。
結果は、中央と低い音域では柔らかい音色、高音域のかなりクリアな音質が出る物になりました。
オーエンとブリュワーは、このデザインがクレストンを演奏するための最高の選択であると同意しました。
これらのマレットは下の写真の中で見えて、レコーディングにおいてはっきり聞き取れます。
マリンバ史における2つの画期的出来事でした。一つは、メジャーな作曲家によるオーケストラ伴奏でのマリンバコンチェルト演奏の最初の録音、もう一つは発のアメリカでのマルチ・トーンのマレットを使用した録音だった、ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今でも多くのマリンバ奏者が演奏する素晴らしい作品です。
今から75年前の4月29日、アメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで、マリンバの協奏曲として世界初の作品である、この曲が初演されました。
演奏したのは、マリンバのソリストが、ルース・ステューバ(Ruth Stuber Jeanne)、フレデリック・ペトゥリーデス(Frédérique Petrides)指揮、オーケストレット・クラシーク(Orchestrette Classique)伴奏です。
(以下、ウィキペディア参照しました)
ルース・ステューバは、1910年5月13日シカゴ生まれ。1933年、シカゴにいる時、ステューバはマリンバを手に入れました。その時の彼女の印象は「とにかく興奮した!」。彼女の最初のマリンバの先生はクレア・オマー・マッサー(1901~1998)でした。1933年にシカゴで行われた世界博覧会でマッサーの率いる100台マリンバアンサンブルの一員として演奏しました。1936年にニューヨークへ移住し、そこでは、G.H,グリーンにマリンバを、メトロポリタンオペラオーケストラの打楽器奏者(ティンパニ奏者)・ジョージ・ブラウン(1920年~1954年在籍)にティンパニを学びました。
オーケストラ伴奏をした、オーケストレット・クラシークは、女性指揮者フレデリック・ペトゥリーデス(1903年9月26日ベルギー・アントワープ生まれ)により1932年に設立され1943年までの間活動していた、30〜40人の女性演奏家だけによる室内楽団でした。当時としては、女性が指揮をすることはあり得ないほど珍しいことでした。
フレデリックの母は才能溢れる人で有名な作曲家、ピアノニストであり、同時に画家でもあり写真家でもありました。フレデリックに音楽を教えたのも彼女の母でした。
1931年フレデリックは、ジャーナリストだったピーター・ペトゥリーデスと結婚します。彼は、フレデリックを、彼女のキャリア=オーケストラの指揮者としての活動、マネージメント、宣伝マンとして心の底から支えました。
12年間による活動の間に、このオーケストレットは主に、アメリカ人作曲家の当時まだ余り知られていなかった作品を委嘱し演奏してきました。デイヴィッド・ダイアモンド(室内楽の為の協奏曲)、アーロン・コープランド(クワイエット・シティ)、サミュエル・バーバー(弦楽の為のアダージョ)他、数々の作品の中の一つに、ポール・クレストン作曲のマリンバの為の小協奏曲がありました。
活動をやめた43年後の1981年に、フレデリックは次の様に話しました。
「私は、質の高い音楽家を求めていたので、オーケストラを拡大しませんでした。殆どのメンバーはカーティス音楽院とジュリアード音楽校で学んでいました。特筆すべきは、当時、バスーン、オーボエ、ホルン、クラリネットとトランペットは、本当に少しの女性しか演奏していなかった、ということです。両親達は彼女たちにそれらの楽器を演奏させたくなかったのでしょう、なぜなら、それらの楽器は女性らしく無かったからです。
私の考えは、良い音楽家により、熟練した演奏をする為にオーケストレットを小さくしておくことでした。女性演奏家達へ、ストレスを掛けたりなんてしませんでしたよ。彼女たちは才能があり、ニューヨークフィルハーモニックの演奏者が彼女たちの優秀な指導者でした。手がけたコンサートは偉大な作曲家達のあまり有名では無い作品を演奏したり、若いアメリカ人作曲家による初演作品でしたから、ユニークだったと思います。
コンサートは大抵は月曜の夜でした。何故かと言えば、月曜日の夜はニューヨークフィルの演奏会が無かったので、批評家達も集客できたからです。私達は都会の生活に、新たな音楽的側面を与えたと思います。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この小協奏曲が初演された時、クレストンは33歳でした。独学で音楽を学んだ、というクレストンですが、形式的には、古典〜ロマン派を踏襲するクラシカルなスタイルの協奏曲になっています。
16分音符三連符付点音符がくっきりとしたメロディに現れ、時に流れるようなメロディが現れる一楽章と、16分音符が絶え間なく続く三楽章は2本で、コラールを思わせるような柔らかなフレーズを奏でる2楽章は4本マレットで演奏されます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数日前、Facebookのページに、クレストンの小協奏曲について、デヴィッド・ハーヴィさんが音源と共に紹介すしてくれた記事がありました。
(ここでは、音源のリンクを掲載できませんでした)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1967年にオーケストラ(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)と共にクレストンのマリンバ小協奏曲の第一楽章を演奏するチャールズ・オーエンです。
面白いことに、これはアメリカでマルチ・トーン・マレットが最初に使用された例で、この演奏のために特に考案された物でした。
クレストン作品の録音日付は近づいてきても、オーエンは彼が所有したマリンバ・マレットの音色に満足していませんでした。
彼は、同僚の木琴奏者・ハリー=ブリュワーに助言を求めました。
2人は、マリンバと様々な種類のマレットのもとに集いました。
チャールズ・オーエンが色々なマレットを試す間、ブリュワーは部屋を歩き回り、その音色を聞いていました。
彼らは、利用できる物が存在しない、と合意しました。
そのために、彼らは実験をしてみました:彼らは、1インチの青いゴム球のついたマッサー・マレットを取り出しました。彼らは、薄いフェルトで、そのマッサーマレットをくるみました。
結果は、中央と低い音域では柔らかい音色、高音域のかなりクリアな音質が出る物になりました。
オーエンとブリュワーは、このデザインがクレストンを演奏するための最高の選択であると同意しました。
これらのマレットは下の写真の中で見えて、レコーディングにおいてはっきり聞き取れます。
マリンバ史における2つの画期的出来事でした。一つは、メジャーな作曲家によるオーケストラ伴奏でのマリンバコンチェルト演奏の最初の録音、もう一つは発のアメリカでのマルチ・トーンのマレットを使用した録音だった、ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今でも多くのマリンバ奏者が演奏する素晴らしい作品です。
The Mockingbird Fantasia〜モッキンバード幻想曲 [songs & works]
原曲は、1855年にアメリカの作曲家、アリス・ホーソン(Alice Hawthorne、本名はSeptimus Winner。全然違いますね)が作曲した『Litsen to the Mockingbird』。
リンカーン大統領も好きだったらしい、という。
恋人に先立たれた男が、お墓の前で、彼女との思い出を歌う、ちょっと悲しい歌。
その時の歌詞は、以下の通り↓
I'm dreaming now of Hally, sweet Hally, sweet Hally
I'm dreaming now of Hally,
For the thought of her is one that never dies
Shes sleeping in the valley, the valley, the valley
She's sleeping in the valley,
And the mocking bird is singing where she lies.
[Chorus]
Listen to the mocking bird,
Listen to the mocking bird,
The mocking bird still singing o'er her grave;
Listen to the mocking bird,
Listen to the mocking bird,
Still singing where the weeping willows wave.
Ah! well I yet remember, remember, remember
Ah! well I yet remember,
When we gather'd in the cotton side by side
Twas in the mild September, September, September,
Twas in the mild September,
And the mocking bird was singing far and wide.
[Chorus]
When the charms of spring awaken, awaken, awaken,
When the charms of spring awaken,
And the mocking bird is singing on the bough.
I feel like one forsaken, forsaken, forsaken.
I feel like one forsaken,
Since my Hally is no longer with me now.
[Chorus]
YouTubeには沢山、音源があって、殆どが1900年代前半の録音みたいです。
とても人気があったポピュラーソング、だったということですね。
#Margaret McKEEの口笛とオーケストラによる、音源↓
http://www.youtube.com/watch?v=JJZI9QBxN9g
#Brother Bones and His Shadowsによる、口笛とバンドの音源↓
http://www.youtube.com/watch?v=yGND73NdaLs
ストービ(Stobbe)が木琴用の曲に編曲したのは、1864年以降だと思われます。
現存する録音では、
#1903年のチャールズ.P.ロウ(Charles P. Lowe)、
#1910年のチャールズ・ダブ(Charles Dabb)、
#1911年のウイリアム・ライツ(William Reitz)の物がありますが、
その内、ロウの演奏は原曲に近く、ストービのアレンジ部分が殆ど聞こえませんでした。
楽譜がカール・フィッシャー社から出版されたのが、1903年。
この時は、伴奏が日本で言うブラスバンドの編成でした。その後、ピアノ伴奏も出版されました。
朝吹英一さんのアレンジもあって、正確に分かりませんが、1950〜60年の間には出版されていたと思います。1903年にカール・フィッシャー社から出版されたストービの編曲にカデンツァが加えられていますが、このカデンツァは朝吹さんが書き足した様です。
手前味噌ですが、演奏している所です↓
リンカーン大統領も好きだったらしい、という。
恋人に先立たれた男が、お墓の前で、彼女との思い出を歌う、ちょっと悲しい歌。
その時の歌詞は、以下の通り↓
I'm dreaming now of Hally, sweet Hally, sweet Hally
I'm dreaming now of Hally,
For the thought of her is one that never dies
Shes sleeping in the valley, the valley, the valley
She's sleeping in the valley,
And the mocking bird is singing where she lies.
[Chorus]
Listen to the mocking bird,
Listen to the mocking bird,
The mocking bird still singing o'er her grave;
Listen to the mocking bird,
Listen to the mocking bird,
Still singing where the weeping willows wave.
Ah! well I yet remember, remember, remember
Ah! well I yet remember,
When we gather'd in the cotton side by side
Twas in the mild September, September, September,
Twas in the mild September,
And the mocking bird was singing far and wide.
[Chorus]
When the charms of spring awaken, awaken, awaken,
When the charms of spring awaken,
And the mocking bird is singing on the bough.
I feel like one forsaken, forsaken, forsaken.
I feel like one forsaken,
Since my Hally is no longer with me now.
[Chorus]
YouTubeには沢山、音源があって、殆どが1900年代前半の録音みたいです。
とても人気があったポピュラーソング、だったということですね。
#Margaret McKEEの口笛とオーケストラによる、音源↓
http://www.youtube.com/watch?v=JJZI9QBxN9g
#Brother Bones and His Shadowsによる、口笛とバンドの音源↓
http://www.youtube.com/watch?v=yGND73NdaLs
ストービ(Stobbe)が木琴用の曲に編曲したのは、1864年以降だと思われます。
現存する録音では、
#1903年のチャールズ.P.ロウ(Charles P. Lowe)、
#1910年のチャールズ・ダブ(Charles Dabb)、
#1911年のウイリアム・ライツ(William Reitz)の物がありますが、
その内、ロウの演奏は原曲に近く、ストービのアレンジ部分が殆ど聞こえませんでした。
楽譜がカール・フィッシャー社から出版されたのが、1903年。
この時は、伴奏が日本で言うブラスバンドの編成でした。その後、ピアノ伴奏も出版されました。
朝吹英一さんのアレンジもあって、正確に分かりませんが、1950〜60年の間には出版されていたと思います。1903年にカール・フィッシャー社から出版されたストービの編曲にカデンツァが加えられていますが、このカデンツァは朝吹さんが書き足した様です。
手前味噌ですが、演奏している所です↓