蘇る平岡養一 [xylophonist]
木琴の事を調べていると、日本語サイトでは、必ず、平岡養一さんのことが出てきます。
先日、Googleした時に、ヒットしたPDFファイル、
『よみがえる平岡養一』を読みました。
平岡さんの木琴を譲り受けた通崎睦美さんのCDや2007年の公演のことも一緒に載っていました。
平岡さんが書いた自分の楽器のことについての文章も、すごく興味深かったです。特に、マリンバについて、「ザイロフォンの明るく軽快に華麗な音質に比較してどちらかと言うと暗く、オーバーなバイブレーションを伴った低音と・・・(略)」の部分は、マリンバ奏者ではなく、木琴奏者の視点からみた『別の楽器』という印象です。
一つだけ、私が引っかかった文章が『平岡養一物語』という向坂正久氏(音楽評論家)が書いた文章の中に、平岡さんが1930年に渡米し、ニューヨークで食うや食わずの生活に追われていた頃、受けたオーディションにまつわるくだり。「(木琴について)こんな特殊な楽器はどこでも相手にしてくれないのだ。」の部分。
1920〜1930年は米国では、特にニューヨークあたりでは、物凄くポピュラーな楽器で、GHグリーンは1925〜1927年に、現在では珍しくもない『通信教育』用の教材を全米プラス他外国へも販売していたほどでした。それほど「木琴を弾くことが出来れば仕事に困らない」という人気。それは、1925年にアコースティック録音が終わる頃を絶頂に続いた歴史。
だから、「どこにもあいてにしてくれない」どころか、木琴奏者は物凄い数が居たのです。
だからこそ、NBCのオーディションに集まった80人ほどの競争の中で合格した平岡さんの偉業が輝かしいのだと、そう思います。
↑
このCDで音が分かります。
先日、Googleした時に、ヒットしたPDFファイル、
『よみがえる平岡養一』を読みました。
平岡さんの木琴を譲り受けた通崎睦美さんのCDや2007年の公演のことも一緒に載っていました。
平岡さんが書いた自分の楽器のことについての文章も、すごく興味深かったです。特に、マリンバについて、「ザイロフォンの明るく軽快に華麗な音質に比較してどちらかと言うと暗く、オーバーなバイブレーションを伴った低音と・・・(略)」の部分は、マリンバ奏者ではなく、木琴奏者の視点からみた『別の楽器』という印象です。
一つだけ、私が引っかかった文章が『平岡養一物語』という向坂正久氏(音楽評論家)が書いた文章の中に、平岡さんが1930年に渡米し、ニューヨークで食うや食わずの生活に追われていた頃、受けたオーディションにまつわるくだり。「(木琴について)こんな特殊な楽器はどこでも相手にしてくれないのだ。」の部分。
1920〜1930年は米国では、特にニューヨークあたりでは、物凄くポピュラーな楽器で、GHグリーンは1925〜1927年に、現在では珍しくもない『通信教育』用の教材を全米プラス他外国へも販売していたほどでした。それほど「木琴を弾くことが出来れば仕事に困らない」という人気。それは、1925年にアコースティック録音が終わる頃を絶頂に続いた歴史。
だから、「どこにもあいてにしてくれない」どころか、木琴奏者は物凄い数が居たのです。
だからこそ、NBCのオーディションに集まった80人ほどの競争の中で合格した平岡さんの偉業が輝かしいのだと、そう思います。
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このCDで音が分かります。
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